えりあし

思ったこと、残しておきたいこと、いろいろ

これはラブレターです。

2016年4月号のダ・ヴィンチA.B.C-Zが特集されました。表紙もA.B.C-Z。表紙にあるA.B.C-Zの文字を数えたら4つもありました。嬉しい。素敵なお仕事をありがとうございます。

 

えびちゃんが取り上げられる雑誌といえば、毎月のアイドル雑誌、リリース時の音楽・舞台雑誌、女性誌なんかが主なラインナップですが、今回はまさかの文芸誌、泣く子も黙るダ・ヴィンチ。昔から本を読むのが好きだった私は過去に何度もお世話になりました。メンバーの戸塚くんが同誌で2013年からエッセイ連載を行っていて、この度その連載から卒業する、ということで組まれた今回のA.B.C-Z特集。個人のお仕事をこんなに大きなグループ仕事に繋げてくれて本当にありがとう、とっつー…!

文芸誌ということもあって、先に挙げたような今まで掲載されていた雑誌とテキストの濃度が違います。ねっとりセンチメンタルって感じです。

A.B.C-Zに縁のある方達からの寄稿では、南海キャンディーズ・山ちゃん、坂上忍さん、ドランクドラゴン鈴木拓さん、ゴールデンボンバー鬼龍院翔さん、チェリーズ監督・山本清史さんなどなど、豪華な顔触れが揃っていて、そのどれからも愛や共有した時間を感じ取れて、ここのページだけで何度胸にぎゅっと抱きしめたことか…はああ…。

 

表紙にもあるように今回は「とっつー連載卒業記念」ということで、普段は戸塚くん一人がお仕事をしていたダ・ヴィンチに、今回はグループで呼ばれています。これはA.B.C-Zの仕事にも言えることなのですが、ひとつひとつのお仕事が線で繋がって見えるところA.B.C-Zを追いかける楽しさがあると思っています。算数で例えるなら答えだけではなく過程の途中式もファンは楽しむことが出来るのです。

アウト×デラックスで一躍テレビの人となった塚田くんも、アウトとして取り上げられた数々のエピソードはファンなら全て知っているネタでした。いきなりぽっとアウトの人間になったのではなく、日々の積み重ねがアウト×デラックスというテレビ番組によって多くの人の目に留まった。そしてそれを機に様々なバラエティ番組に呼ばれるようになって今に至ります。私たちファンは、当たり前のように蒔かれていた種が、ある日ぽっと芽を吹かせる、いつの間にか種の成長を見届けていたのです。大きく言ってしまうと、A.B.C-Zを追いかけていれば自然と自分たちが歴史の発見者にもなりうるのです。

A.B.C-Zはバーター仕事も殆どなく、楽曲をリリースをしても他のグループが呼ばれている音楽番組に呼んで貰えないことも珍しくありません。その代わりに、他のグループを応援していても決して味わえない種類の感動があります。初めてグループ全員で行われらJ'Jワーホリ旅、5人出演ドラマ「魔法男子チェリーズ」、4/2(土)の特番ネプ&ローラでは、ジャニーズ物真似でヒットを飛ばしているジャガーズとのスペシャルコラボまで。自ユニ、ジャガーズとコラボするんですよ!!!ジャニーズのバックにジャガーズつくしジャガーズのバックにジャニーズがつくんですよ!!!こんな面白いことあります???(笑)

このダ・ヴィンチ特集も、戸塚くんがグループに繋げてくれた大事なバトンです。ある日いきなりぽんっと飛び込んで仕事じゃないから、ファンとしても自然と愛着が湧きますし、お仕事の有り難みもひとしおです。

しかもこの特集が、いちいち挙げていくと切りがないくらい、どこを切り取っても素晴らしい特集になっているので、A.B.C-Zが気になる人には全力でオススメしたい一冊です。

 

 

テキストの濃度が違う、って話。私、雑誌編集とかぜんっぜん携わったことないので読み手としての憶測でしかないんですけど、ダ・ヴィンチのテキストって、ライターさんや編集さんの解釈が尊重されているのかな?

アイドル誌は等身大のアイドルが売りだと思うので、アイドルの言葉をまず前面に出しているイメージで、女性誌もそうかな、なによりまず本人の言葉が第一で、話の内容に強く踏み込むことはしてないのかな。本人たちが語る言葉以上の装飾をいつもはつけない。例え言葉が足りなかったり、そのせいでうまく意味が読み手に伝わらなかったとしても、極端に言えば、本人の気持ちと発信する言葉が噛み合っていないことすらもアイドルとして魅力で美点になりうるから、作り手は余計な手を加えないのかなぁと。

ダ・ヴィンチさんはさすが文芸誌で、本人たちが語る言葉以上のものを読み手に伝えようとしてくれえていますし、何よりA.B.C-Z本人たちが、「今日は踏み込んで話す日」と強く意気込んでくれているように感じます。編集後記で橋本くんが「今日は調子のって、あんなこと言ったけど、いつもは言えない」ともありましたし、ダ・ヴィンチ製作者側からのアプローチからも、A.B.C-Z本人たちも、いつもとは違う気概でこの仕事を受けたんじゃないかなぁと推測出来ます。

今回のダ・ヴィンチが綴るA.B.C-Zからの言葉は、書き手聞き手の力がめちゃくちゃ作用されている印象です。本人たちの言葉だけでは埋もれてしまっていた言葉が、他人の力によって前の方に引っ張り出されていたり、読み手に伝わりやすいように単語や言葉の順番を並べ替えてくれたり、感情に訴えかけやすいように叙情的な色を足してくれていたり。自分たちだけでは出せなかった表現を、ダ・ヴィンチ側が引き出してくれているように感じました。

 

 五関くんの個人インタビューもそうです。ダ・ヴィンチで連載していた戸塚くんが、振り付けの五関くんに自身の尊敬の意を伝えた話。これは別の雑誌でも確か一度したことがあって、けれど今回の五関くんは前回にない感情を教えてくれました。

「笑ってありがとうって言ったけど、本当は泣きそうなくらい、嬉しかった」

私は塚田担なので、塚田くんほど熱心には五関くんのことを追えていないので、もしかしたら過去にそういったエピソードがあったのかもしれないんですけど、五関くんの口から「泣きそうなくらい」という言葉を聞いて自分の目を疑いました。五関くんって、泣くとかあるの?ーーーって書くとめっちゃ失礼だな(笑)。でも本当それくらい、五関くんといえばいつだって冷静でマイペースで、五関くんがフラットでいてくれるからA.B.C-Zは元の形に収まることが出来る、刀で言う鞘に当たる人だと思っていたから、めちゃくちゃ驚きました。五関くんがメンバーからの言葉に、そこまで強く感情を揺さぶられることがあるんだ、そしてそれを、私たち読者に教えてくれるんだ、って。五関くんって自分のことをぺらぺら人に話す人じゃないから、そんな五関くんが自分の内側で強く感情が揺れ動いた話を自分の口から話してくれたことにすごく感動しました。そしてこのダ・ヴィンチの特集は、今まで聞けなかった類のA.B.C-Zの話を教えてくれる雑誌なのだと気付かされました。

 

 

メンバーそれぞれに感想はあるんですけど、私は塚田くん担当なので、塚田くんに絞った話をどうかさせてください。

 

 

 

個人的に塚田くんの三大テキスト雑誌は、まずは2013年9月Myojo、これは塚田くんの一万字インタビューが掲載されている号ですね。次いで今年2月発売のTVガイドPERSON、そして今回のダ・ヴィンチ、です。塚田くんのテキストは雑誌ブログ舞台コンサートパンフと漏れなくどれも大好きなのですが、一般に発売されているもので特に色が濃いものを選ぶとなると、個人的にこの三つを挙げたいです。

それぞれの特色を私目線で要約すると、Myojoは「アイドル・A.B.C-Zの赤裸々略歴第一弾」、TVガイドPERSONは「バラエティ本格進出に向けての塚田くんのおさらい」、ダ・ヴィンチ塚田僚一の陰」です。

前ニ誌にはない塚田くんの陰の息吹ダ・ヴィンチには込められています。とオタクは信じ込んでいます。

 

 

塚田くんというひと。

塚田くんというキャラクターを改めておさらいすると、今やお馴染み「金髪・筋肉・塚ちゃんです!」のキャッチフレーズに全てが集約されているといってもいいでしょう。金髪で筋肉で、老若男女問わず「塚ちゃん」というあだ名で呼べてしまう、ポップキャッチーマスコット的キャラクターです。いつも笑顔で元気で明るく社交的でポジティブな性格、好きな食べ物はお肉。体操でオリンピックを目指していた過去もあり、根っからのスポーツマンでアスリート気質。表面をさらっと撫でた塚田くん像はどこもかしこも「陽」の色を全面に押し出したキャラクターを売りにしています。

「一歩家の外に出た時から仕事」という我らが殿・滝沢くんの教えを忠実に守り抜いている塚田くんは、そろそろ渋谷の名物マスコットに認定されてもおかしくないんじゃないかな。街中で出会ったファンや一般人への対応のよさも評判のひとつです、私の友達も街で塚田くんを見掛けたときに「塚ちゃんならイケると思った」と声を掛け、実際握手して貰ったみたいで、私自身も某所でばったり塚田くんと鉢合わせたことがあったんですけど、目が合ったので会釈して「こんにちは」と声を掛けたら*1、ぎょっとしたりたじろいだりする様子なく自然な笑顔で「こんにちは」と返されたことがあります。塚田くんはおうちから一歩外に出た瞬間からもうプロのアイドル「塚ちゃん」なんです。マジかよ。すごい、恐ろしい。私は街でお客さんに話しかけられても愛想よく返せる自信なんかありません。覚悟が違う。塚田くんかっこいいー!(拡声器)

 

 

ダ・ヴィンチ:個人ページの話。

個人ページの塚田くんの写真、笑ってないんです。一万字で「ニヤニヤしちゃう」「骨格のせい」と話していた塚田くん、笑顔じゃないんです。そりゃあカメラさんが撮った中には笑顔の塚田くんのショットも含まれていたでしょうが、ダ・ヴィンチは口角の上がっていない塚田くんの写真を採用したんです。……だから何?って言われたら、それまでなんですけど(笑)。塚田くんと言ったら笑顔、ってわかりやすい定石じゃないですか?「塚ちゃん」というキャラクター的にも。でも、個人ページの塚田くんの写真は、笑っていない塚田くんなんです。この選択だけでも、いつもとは違う姿を届けようとしてくれている制作側からの気概を感じます。

 

 ダ・ヴィンチでは表紙に載る時自分の好きな一冊を持つのが定番なそうで、インタビューではその本について触れています。

塚田くんが選んだ本は佐藤多佳子さん著『一瞬の風になれ』です。この本については過去のドル誌でも話題に挙げたことがありますね。

 JWの時期に読み返していたそうで、作中の先輩が後輩に引導を渡すやり取りが目に留まった話をしています。

「ジャニワでも、最年長の僕たちより後輩の出番が多いんです。三年前の初演のときは、負けたくないって気持ちが強かったんですけど、今は余裕を持てるようになりました」

JWは私はトニトニから観劇し始めたので、初演がどのように行われたか、どのような気持ちで塚田くんが臨んでいたか、現場からも雑誌からもちゃんとは追えていないんですけど、JWでのA.B.C-Zの立ち位置について明確な話ってあまりされてきていないと思うんですよね。今年のどこかの雑誌で戸塚くんが「今年はサポート」と明言していましたけど、塚田くんの口から所謂序列的な話ってあまり聞いたことがないです。オタクから見たJWでのえびの扱いについてはtwitterで散々あれだったので割愛します…JWのえびの話もいつかちゃんとしたいぞ~!

本って自分の置かれている環境が変わると、同じ話なのに読み返す度に違う感想を抱くことがよくあるので、私も毎年ある一冊の本を必ず読み返すようにしているんですけど、その度に目が行く箇所が変わるんですよね。塚田くんも今年にその感覚を味わったのかなぁ、と勝手に共感です。塚田くんの中でJWの自分の立ち位置が、自分にとってしっくりくる落としどころを見つけられた年になった、ということを、ファンとして覚えていたい所です。

個人ページでは自身の根幹である体操の話もしています。

「体操って、とにかく自分と向き合ってイメージトレーニングをするんですよ。なんでできないのか、どうしたらできるのかを考え抜いて、やるときはぱっと発散する。ためこみと放出、陰と陽両方があるところが、自分でもいい感じなのかなって思います」

塚田くんって情報の回転がものすごく速い人だと思います。簡単に言うと「飽きっぽい」になってしまうんですけど、その都度トレンドに敏感ですし、気になったら現場にも足を運んでしまうフットワークの軽さも魅力のひとつです。最近では女性アイドルネタが多いですが、グループでジャングルポケットのネタが流行ったときに、気になったのでジャンポケのライブを観に行った話を以前ラジオでしていました。そのときのパーソナリティがジャンポケ本人たちだったんですけど、本人たちもお客さんから「塚ちゃんが見に来ている」という噂が耳に入っていたそうで、喜ぶより先にとても驚いてらっしゃったのをよく覚えています。

この「陰」と「陽」の話は座談会の方でもまたさせてください。

 

 

座談会の話。

事務所在籍歴が長く後輩にもどんどん抜かされていったA.B.C-Zの年表の中で、メンバーが各々躓いた箇所にはメンバーが一万字インタビューや後の発言等で分かりやすく点を打ってくれています。河合くんならキスマイもデビュー、戸塚くんならPZの坊主、橋本くんならJUMPのデビュー、五関くんはちょっとわからないですね…。

一万字の塚田くんは、あんまりわかりやすく点を打ってくれてないんですよ。何処のタイミングで辞めようと思った、って明確な言い回しはしてくれていない。「やめたいって社長に伝えた」という話はしているけど、何処のタイミングで、という区切りはまだしたことがないんです。

 一万字からのABC座パンフレットを読んで私は、塚田くんが事務所を辞めたかったの時の話はいつか全てパフォーマスで表現するから、もうその話はしてくれないんだと思ってました。でも塚田くん、今回のダ・ヴィンチでは明確にその話題に触れています。

「19歳かな。当時、入って半年くらいの手越くんがいきなりNEWSでデビューして、ああ、いいなあって。この世界、後輩に抜かれることもあるってわかってはいたけど、あの時経験して、本当の意味で理解したんだと思う。」

下積みの長いA.B.C-Zはよく後輩が先にデビューして辛かったときの話をしますが、その時に挙がる名前って大体JUMPかセクゾンだったので、NEWSというのは意外でした。改めて一万字を読み返してみれば塚田くんは、A.B.C.がKAT-TUNの二軍的な扱いであることも気にしていたみたいで。塚田くんの中ではそんなに早い時期にもう点を打たれていたんだ、ポイをポイっとした話、あれは「辞めたい」に繋がる布石だったんだって、ダ・ヴィンチを読んで初めて気付きました。*2

「辞めたい」って、アイドルにおける究極にネガティブな言葉だと思うんです。きらびやかなステージの上に立ってキラキラの衣装を着ているアイドルが、自分の意思でその衣装を脱ぎたい、ステージに立ちたくない、って考えているーーーなんて、ファンとしては一番悲しいことなんじゃないかな。だって、そんな姿の彼らが私たちは好きな訳で。

塚田くんってネガティブなことを「言わない」ようにしてる人だから、そんな塚田くんがネガティブな言葉を発信する場所、それが垣間見える瞬間はとても貴重です。アイドルという生き物は、そういったネガティブな要素すらも美しい物語として自身の価値にも出来ますが、塚田くんはとにかく陽のキャラクターなので、ネガティブなことはあまり善しとしてくれません。*3

私は塚田担なので、塚田くんに対して貪欲です。ハッピーな塚田くんが見れたら次はセンチメンタルな塚田くんも見たくなるし、ポップでキュートな塚田くんが見れたならシックでクールな塚田くんが欲しい。塚田くんが陽をくれればくれるほど、僅かに溢れる陰に飛び付いてしまうのをどうか許して欲しい…。塚田くんごめんね。

 

で、私が何を言いたいかというと、十年以上載り続けたアイドル雑誌でもない、様々なアイドルや芸能人が頻繁に取り上げられる女性誌等でもなく、誰もが知る有名文芸誌、このダ・ヴィンチという媒体に、この世界を辞めようとしたときの話、自分の立ち位置に不満があった話ーーー普段は外に出すことのない塚田くんの「陰」を吹き込んでくれたこと。その仕事っぷりに私は噎び泣きます。「陽」があれば「陰」があることを塚田くんは無視していない。体には老いがあることを塚田くんは隠さない。塚田くんはいつだって自分と向き合っている。ファンはとても身勝手で傲慢な生き物なので、手が届かない存在のアイドルに自分たちの気持ちを「わかって欲しい」と願ってしまいます。塚田くんはちゃんと、わかってくれています。体力には限界があること、いつかはアクロバットが出来なくなってしまうこと。人はポジティブなだけではいられないということ。重箱の隅をつつくようなオタクの屁理屈を、塚田くんは「ちゃんとわかってるよ」と教えてくれました、このダ・ヴィンチという少し特殊な仕事の中で。一冊のダ・ヴィンチというひと匙の現実が、今後の私のオタク人生に栄養を与えてくれます。私をまだオタクとして生かしてくれます。

アウトな人達に囲われて丸裸になりながら、自分に嘘を吐かずに自分を曝け出して、吸った分だけ息を吐くように、アウトプットとインプットに余念がない塚田くんの生き様がもうめちゃくちゃ格好いい。大好き。大好き!!!!(拡声器)

 

 

 

最後に。

「売れる」ってどういうことか、って考えたときに、現時点私が行き着いた結論は「わかりやすくあること」でした。いつ見ても同じ色で同じ顔をしていて、特別関心があるわけでもない人がそれを何度も何度も繰り返し見ることで段々と覚えていって、その積み重ねが数となって、「人気」に繋がると私は思っています。

だから、塚田くんがいつでもどこでも「塚ちゃん」であろうと貫いてくれる姿に私は惚れて、そして日々惚れ直しています。塚田くんの思考と私の思考は重なっているのかもしれない、と塚田くんは勘違いさせてくれる。そしてその思考を塚田くんは本物として体現させようとしてくれている、形にしようとしてくれている。こんな頼もしいことってありません、こんな頼もしい人って他にいません。

塚田くんは私のアイドル=ヒーローです。

でもってね、びっくりすることに、アイドルって人間なんです。芸能人の精神構造って一般人と同じなんです。器のでかさは違いますけど、人として何かが大きく異なる箇所って殆どないんです。それを私は忘れたくない。同じ性質の同じ人間である塚田くんが、ものすンごいエネルギーを使うことによってあんなにもキラキラと輝いている。そのエネルギーの強さを私は愛し尊んでいます。

 

「僕は……悔しいこともあったけど、覚えてないっていうか。本当に悔しいことはこれからくるような気がするな」

19歳で「辞めたい」と思った塚田くんは今29歳です、今年で30歳です。これまでも悔しいことがなかった訳ありません、でもそれを「覚えてない」と片付けて、今までの以上の悔しい経験が「これからくる」と腹を据えている塚田くんが、頼もしくない訳ないだろうー?!うわーーーん!!・゜・(ノД`)・゜・

A.B.C-Zはもう幸せになってもいいよ、って私は思っちゃいます。だってもうこうんなにも頑張ってきたんだから。それでもまだまだ先があって上がいて、そういう世界に彼らがいること、身を置いていること、その世界で生きていかなくちゃいけないこと、考えれば考えるほど苦しくなってきたりもするんですが、でも、彼らがその世界を現在進行形で選び戦い続けているんだから、そこから目を背けたくないです。見てたいです、A.B.C-Zが戦っている姿を。そして、勝利を収めていく姿を。勝つに決まってます、だって彼らはこんなにも格好良くて美しい人達なんだから。世界がA.B.C-Zに合わせるべきだろって、オタクは本気で思ってます。

 

世界中がA.B.C-Zの味方になりますように。そういう世界であって欲しいと本気で願ってます。これからも頑張っていこうなあーえびちゃーん!愛してます!まとまりないままおしまい!

 

 

*1:今思い返すと自担を前にして自分よくそんなことできたなマジでっておもいます。

*2:ちなみにとっつーにやめたいと相談の電話をしたことがあったこともここで初知りです。一万字ではとっつーから声かけてくれた、みたいなに書いてあったけど、記憶の混同…?

*3:MW特典でメイキングカメラの方が「撮影時間が押してますね」と言ったら塚田くんが珍しく語気を強めて「時間で言うとです。その分精度は上がっています」といった返しが特に印象的です。

続きを読む

2015年の現場を振り返る

振り返るぞー!

今年の目標は「いろんな舞台に行く」でした。

えびの現場が本格的にはじまる前の上半期によく頑張ってた。

 

 

 

Johnnys' Countdown 2014-2015

ブログ書いてた。
マッチのいいところを探すのに必死だった。

 

 

2015新春JOHNNYS' World

2015年唯一二ッキさんがプレーヤーとして舞台に立った作品。
最初のサークルフライングで全て持って行かれました!あんなにいいもの見たらこの後どんな展開が待っていてももう構わん!という気概!
ニッキPが一人ぐんと歳上だったので、トニトニのときからえびちゃんの立ち位置もちょっと変わって。えびを率いるニッキP、最高だった…。
ストーリー的な意味では私のJWはここで完結!!!!と思ってたけど今年の内Pもすごくよかったんだよな~~今年のもブログに書けたらいいなっ

 


ジャニーズWEST1stコンサート一発めぇぇぇぇぇぇぇ!

OPの映像がもうおしゃれで、衣装も正月にしか着れないやつで、無駄な布が多くて、羨ましさで倒れるかと思った…(^o^)
トロッコが目の前通る列だったのに、スタート位置の奥の方の席だったために、WESTが遠ざかっていくのを見送るしかなかったの、結構面白かった。
淳太くんはやっぱり二子玉の専業主婦。

 


ブラッドブラザーズ

マルシアさんがめちゃくちゃ歌がうまくて、ミュージカルってこういうことなのか~~!!と感動しまくった。
真琴つばささんの、ロングコートからチラッチラ見えるニーハイブーツ×網タイツがめちゃくちゃセクシーだった。
念願の照史の外部舞台!!!!!!!と鼻息荒く観に行ったけど、神ちゃんの引き出しの多さというか深さというか、終わったあとはとにかくずっと神ちゃんがすごかったはなしばっかりしてた。
初主演舞台で見た照史は、全部知ってる照史だった。

 


If or…Ⅶ

Ⅳから物語になり、Ⅴで萌えを披露しはじめ、Ⅵでいよいよオタクの心を鷲掴んだーー!!と興奮していたら、Ⅶは冒頭から股間が強調されすぎてて目のやり場に困った…。
村上くん、自分の体を大事にして…安売りしないで…。
村上くんが自分の体の需要をよくわかってた。
ストーリー書き起こししてたあの日の私に感謝。→

 


広島に原爆を落とす日

めちゃくちゃ前の席で、正直ストーリー以上に演者との近さに慄きっぱなしだった…夏枝もディープも近い…めちゃくちゃ美しい…。
熱海、出発と観てきて、自分がつか作品に慣れたのか、戸塚くんがつか作品に溶け込んできたのか、まだまだ観劇経験の少ない私にはわからないけど、どれもそれぞれ面白くて好き。
つか×錦織×戸塚のファンなので、毎年同じタッグの違う作品を観れているのが嬉しい。

 


ベター・ハーフ

広島からはしごしました。風間くんと仁さん目当て。
この作品、きっと色々めちゃめちゃすごくて、脚本もキャストも演出も、めちゃくちゃ気持ちよくマッチングしてるんだろうなあー!
っていうのは肌でわかったけど、それがどのくらいすごいことなのか、私の観劇経験が少なすぎて、そのすごさをいまいち体感しきれなかった自分が歯痒かった。
男性陣二人のことしか知らなかったけど、真野ちゃんも中村さんもすぅごかったぁ…。
パンフで真野ちゃんがめちゃくちゃ勇ましいのが意外でよかった。
それぞれに似たような展開が起こるんだけど、男女の違いがこれまた上手に描かれていて、これが鴻上さんかぁ、と思うと鴻上尚史×A.B.C-Zもぜひぜひ観たくなりました。
最初に仲良くなったのは女性側二人なのに、色々あって、終盤には男性二人がなんだか仲良くなって、女性二人はすっかり疎遠になっていたのが、ものすごーーーく、男女!!って感じがして好き。

 

 

カラフト伯父さん

伊野尾くんが神戸弁で捲し立てると聞いて、それは是非見てみたいぞと急遽譲って貰っての観劇。
個人的に、今年入ってよかった現場ナンバーワンです!!!
阪神淡路大震災の時代の話で、キャストは三人だけ。伊野尾くんって、これが初めての舞台なんですね。
テレビで見てると声が特徴的だなって思ってたけど、舞台で聞いてそこがネックになるとかは全然なく。
伊野尾くん演じる徹が住んでいる鉄工所がワンセットのみでセットチェンジなし。この鉄工所のセットがすんんんんごくよくって、鉄の寂れた感じ、古臭くて油くさそうな感じ。自分のおばあちゃんちが、家の隣に鉄じゃないけど工場があったので、そこを思い出したりしました。へたくそなりに絵起こしも頑張ってた。→
物語のスタートが、伊野尾くんが軽トラを舞台上に駐車するところから始まるのも衝撃的で、上手も冷蔵庫から牛乳を取り出して、セット真ん中のソファに土足でどかっと腰を下ろすところまでのリアルさ、秒針通りに物語が進んでいることがそこの件でよくわかって、これ!といった派手さはないのですが、そのリアルタイムさに訳もわからず惚れました。
一番最初に駐車した軽トラが、ただのインパクト材料としてだけでなく、徹の切なさ寂しさ侘しさを表現するのにすごーーーくいい働きをしていて、徹が泣きじゃくりながら地震に対する恐怖を吐露するシーンでは、徹ばりに泣きじゃくって、チケットを譲って頂いた伊野尾担に若干引かれる、という事態にも見舞われました。
伊野尾くんという、軽薄さが売り(すごく褒めてます)のキャラクターに、こんなに激情的なものを抱え吐露する役が与えられたこと、その作品を直の目で見れたこと、とても貴重な体験でした…!

 

 

A.B.C-Z Early summer concert

待ってたよーーーコンサート!オリジナルアルバム!初めての城ホ!嬉しい楽しい大好き!
ただ、夏の現場が濃すぎて今年の話とは思えない…。
塚田くんがアウトデラックスに出演するようになってからの現場だったのですが、塚田くんに限らず、MCがめちゃくちゃ面白くなってて驚きました。みんな喋ってたしみんな面白かったー!
塚田くんのキャパシティがめちゃくちゃ広がっている感じがして、塚田くんという人がまた一回り大きくなったことを実感しました。
代々木に二回入ったのですが、まさかの大体同列のサイチェンしたような席で、似たような画角の上下逆から観れたのが貴重な経験だったー!
花道が近くて、JrコーナーでメインステからSnowman、バクステから無所が闊歩してセンステで合流する様が、A.B.C-Zに仕える国王軍VS下克上を企てる賊軍の戦場に見えて圧巻でした…ひーくんの圧倒的若頭感…。
城ホで塚田担と二連したのですが、衝撃の外周トロッコ復活、しかもまさかの塚田くん側で、その他大勢お手ふりだったのに、トロッコが去った後二人揃ってへろへろに倒れ込んだのが、とても素敵な初城ホのいい思い出になりました。

 


ファウスト~最後の聖戦~

オフィスト様のことを「ごっち」って呼ぶガブたん。マルガレーテ様に「もっと目を見て!」と詰め寄られたファウたん。
河合くんのお兄さん、めっちゃ背高かった。

 


久保みねヒャダこじらせライブ2015

ジャニーズ以外の現場にもひとつくらい行っておきたい!!と思っていたらまさかのこれ。久保ヒャダの頃からのファンです。
トークにお金払ったのって初めてだったんですけど、すごいこと言うんだな?!?!って驚愕。しっかり箝口令も敷かれました。
代々木体育館第一で「私らエゴサのプロだから」と仰るミツコの説得力、ちょーハンパなかった。
即興で曲を作っていくひゃっくんのプロの仕事っぷりに悶えてた。ここでも発揮される、仕事する男萌え。

 


壊れた恋の羅針盤

記事に書いた。
なんかのテキストで辰巳さんが「羅針盤で引き算することを覚えた」みたいなことを話しているのを見かけて、やっぱりそうだよねー!と嬉しい気持ちに。
シャルルが引き算した分余白があって想像する余地があって楽しいし息抜きにもなる。ルベールとアンリは足し算山積みで大変そうだったね。

 


Summer Paradise in TDC「A.B.C-Z Ha“ss”hy★Concert」

橋本くんが真似する橋本くんのお母さんが千葉のヤンキーだった。
君が幸せにならずして、誰が幸せになろうか?!?!?!
人を殺してきた表情で会場から退場する五関くんがめちゃくちゃかっこよかったんだけど、服装がめちゃくちゃダサくってシビれた。

 


Summer Paradise in TDC「A.B.C-Z はじめようAtoZを!!」

おかわりアーリーサマーコンサート!
今までは、派手なこと出来るからコンサート会場はおっきいほうが好きだったんだけど、狭い箱ならではの演出とか良さや楽しみ方を知ってしまったー!ぜいたく!
レジェンドコン「気にせず~」で塚リカがアイドルキャラとして確立、からのアリサマでがだぁくねす×リカのコラボまでやってしまったらもうすることなくない?って思っていたらまさかのゴセコ…!五関くんこの夏めちゃくちゃ忙しかったのにこんなことまで付き合ってくれるんだね?!どこまで断らない人なんだあなたは?!かっこいい!!
二回しか入れなかったのと、笑い過ぎて全然集中できなかったんだけど、「私の唇 あなたに捧げる」パートが「私の塚ちゃん あなたに捧げる」、最後も「運命のLOVEです!」が「友情のLOVEです!」に替わってて、リカとだぁくねすの愛の歌が、一瞬でリカとゴセコの友情ソングに様変わりしたことにめちゃくちゃ感動したー!塚田くん言葉遊びがうまいなあほんとに!→DARKNESSすごいよ記事
シンガポール帰りの河合くんが、なんかずっと綺麗で、びっくりした…。
ここから始まった塚田くんの猛烈★五関くんブームは、年末の今尚続いていることに驚きです。

 


ABC座2015

演出:錦織さんでえび座って、私得すぎる!!!!!!!!!と決まってすぐに卒倒しそうになった~ていうかもうした。
コンサートはあったけど、舞台初日に入るのが初めてで、それも加えて一層思い入れの深いえび座になりました。一日で消えた二幕竹藪のことは忘れないよ。
自分の理解力の問題か、演出が追加される前だったからか、ストーリーにあやふやなところが多くて、自分なりにあれやこれやと解釈をこねくり回して考察したのが楽しかったー!
一人じゃ抱えきれなかったので、仕事終わりの22時に、新宿でえび担とこうじゃないかああじゃないかとあれこれ話し合ったのがとてもとてもいい思い出!
普段は全然考察とか考えないんだけど、それくらい思い入れが深かったんだろうなぁ。これも記事書いたね。
メイチンいいやつだった。ストーリーとは関係ないけど、いいやつだった…。
塚田くん個人に任せられるパートがどんどん増えてきて、感動した…今思えばトニワが極端に少なかったんだけど…。

 

 

関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!

コンサートでこんなに村上くんがおいしかったことってある?!?!?!
ひなちゃんがどんどんピアノうまくなっててぇ…手元をみながらコードを押さえるだけで精一杯だったあの日の村上くんはもういない、ない…。
渇いた花でどうやらすばるくんからひなちゃんとセッションでやりたい、といった話が持ちかけられたようで、ステージに松原.二人だけ残る絵になんかもうぐっときた。
天性のメインボーカルすばるくんに、お前と音楽したいと誘われたむぁかみくぅん…泣くしかない…。
今回めちゃくちゃよかった。アルバムを耳だけで聴いたときはそんなにぴんとこなかったんだけど、コンサートで見たら全部がハイクオリティで興奮しまくった。
エイトのコンサートがむちゃくちゃ好き。今までは好みに近いって意味が強かったけど、今回はクオリティがどれもすごい、やばい。かっこよすぎ。
村上くんがカメラアピールしまくっていたので、モニター越しに目が合ったと悲鳴を上げる安定の低燃費。コンサートでの村上くんの記憶は大体ケツしか見せてもらえなかったから…。

 


JWはまた改めて書けたらいいなー!

 

今年の心残りはNo.9と熱海かなぁ…ドッグファイトも観たかった。
ジャニーズ以外も観たいと思いつつ、なかなか手がまわらない現状。
来年こそはジャニ以外の舞台観にいきたいなー。
半券数えたら25枚でした。来年もたくさんいいもの観たいなー!

今年もよく通いました◎

年の瀬にご報告

桐山担をやめました。



はじめてアナザーで照史を見て、トニトニてるPで、わー!ってなって、あっという間にデビューが決まって、現場にも足を運んで、照史のためのツイッターアカウントも取ったりして、長い付き合いの神山担の友達に話を聞いてもらったりしたんですけど、桐山担、やめます。

色々と思うところはあるんですけど、人に見せられる形に出来そうになかったので、こまかく書くのはやめました!笑


でも、これだけは書きたい。




転機は、ブラブラでした。






このブログでご報告もしていたので、結末もこちらでご報告を、と思い、記させて頂きました。

ジャニーズWESTのことは、担当のいないグループとして変わらずゆるゆる応援していきたいです。朝ドラめっちゃ楽しい〜〜シニカレ面白い〜〜ビューサンもいつか見たいな〜〜〜。



みなさん、良いお年を!

冬生まれのひまわりアイドルさんへ

塚田僚一くん、29歳のお誕生日おめでとうございます!

 

28歳の塚田くんは私なんかが言うまでもなく、大活躍の年でしたね。新春JWが終わる時点ではまだなにも決まっていなかった、と雑誌で話していましたが、そんな真っ白な新春から年末を迎える今、塚田くんの姿をこんなにもたくさんテレビで見る機会が増えようとは…!

ワーホリ旅*1を見たときに「塚田くんはテレビの人だ!」と思っていつかはバラエティに…と夢見てはいましたが、それがこんなに早いタイミング、短期間で実現することになろうとは予想だにしていませんでした。

今までは「A.B.C-Zが好き」と周りの人に話しても、よくて「ワーホリの人」、はたまたまったく心当たりを得られなかったことがほとんどだったのに、今では「金髪筋肉塚ちゃん」「アウトの人」と、A.B.C-Zに繋がる架け橋のような存在になっていて、塚田くんのファンとしてはその感激もひとしおです。

 

テレビに出る機会が増えて嬉しさ半面、このまま大人のいいように使われてしまうんだろうか、はたまたやべーことをやらかしてしまったらどうしよう、巻き込まれてしまったらどうしよう、などなど同じくらい不安もありました。たくさんの人に関わることで、塚田くんという人の良さが曲げられてしまったら、曲げざるを得ない状況に追い込まれてしまったらどうしよう、と今尚びくびくしているんですけど、今の時点有難いことなんですけど、塚田くんが塚田くんのまま、「塚ちゃん」というキャラクターを尊重した仕事ばかりに出会えていて、こんなことってあるのか?!?!といろんなギャップに振り回されて一人疲れることもしばしば。*2

長年出場を希望していたSASUKEに出演、アウトデラックスレギュラー入り、そこからいろいろバラエティ番組に呼ばれるようになって、塚田くんのコーナーまで出来て、長年やり続けた自己紹介ギャグも晴れて世間にお披露目され、初演JWから始まった女装ネタが初めてのオリジナルアルバムに音源化されてCDデビューで、新聞連載もはじまって……はい…塚田くんはすごいな…。

 

そして昨日発売のTVガイドPERSON。表紙は今をときめく星野源さん、表紙に並ぶ名前はどれも旬な芸能人ばかり。“2015な人々”。塚田くん、そんな中に名前が、載っちゃってるんですよ…すごぉい……。中の写真もテキストもどれもとーーーっても素晴らしくて。こんな素敵な雑誌に素敵な面子に素敵な写真に素敵なテキストに、塚田くんが載っているんですよ、びっくりぽんですよ。

 

アイドルなのに。

アイドルだから。

“金髪、筋肉、塚ちゃんです!”。さまざまな番組で塚ちゃんが残すインパクトは、これまでのジャニーズ、アイドルのイメージをいい意味で覆すものだった。「ジャニーズの夜明け」とも評される現代の“革命児”は、王道、サブカルのどちらもこよなく愛す、頭の柔らかい好青年である。

 

―――TVガイドPERSON vol.40

 

 PERSONの塚田くんのページを飾るこのテキストが、個人的に大ヒットです。何度だって声に出して読みたい。

「ジャニーズ」という大手事務所に属しているものの、まだ陽の目を浴びる機会の少ない「A.B.C-Z」。CDではなくDVDデビュー。ジャニーズの根幹である舞台でのショーを中心として活動しているものの、今のメディアの主流であるテレビからは足が遠退きがちなことを否めない。元気ハツラツでちょっとおバカな体育会系キャラでありながら、アイドル音楽芸術お笑い、様々な分野に関心を持ち自らの足で現場にも足を運んでいる塚田くん。

塚田くん自身もそうだし、えびというグループも、王道でありながら邪道を内包している。もしくは、邪道の道を歩んでいるのかと思いきや、人間の肉体や物事の根幹に触れているものだったりする。ひとつのものを見ているのに、全く違う視点の見え方が同時に彼らには存在している。そこがえびの面白さであり、もしかしたらわかりづらさにもなっているのかなーと思うのですが。

塚田くんという人の、見ただけでわかる元気そうな感じ、ちょっとバカそうな感じ、でも憎めない感じ。一見すごく単純なのに、アイドルが好きで女子アイドルになりたいとか言うし、実際にコンサートのソロコーナーにまで昇華させちゃうし、売れっ子俳優と実は友達だったとか言うし、でも親友は宮っちだけって言うし。後輩にすすんでご飯を奢ってあげていると思えば、人のものを無断でとったりもする。

ライターさんにも、「野心があるのかないのか、よくわからない(笑)」と言われていますし、それに対して塚田くん自身も、「そう、僕もよくわからないです(笑)」と答えているのがまた面白いです。

そしてインタビューの締めに綴られたライターさんのこの文章。

 

ときに予想を超えてくる行動が“アウト”なのだとすれば、彼のそれは、確実に現場を笑顔で満たし、幸せにしてくれるギフトだ。

 強い個性とピュアさは両立する。いや、両立できている人こそが、オンリーワンの輝きを放つのかもしれない。

 

最高じゃないですか?!?!?!なんかもう、これ以上ないってくらい塚田くんの魅力を、過度に飾らず、矛先を違えず記してある文章に出会えて、私は猛烈に感動しています…。

塚田くんって、きっともうずっと塚田くんのままだから、あとは受け取るこちら次第なんだなぁって。塚田くんを良しと捉えるのも悪とするのも、好きになるのも嫌いになるのも、どちらの理由も同時に存在して、しかもそれがこの目でハッキリ見えるのが塚田くんのめちゃくちゃ面白いところだと思います。

元気なところが好きっていう人も、やかましくて鬱陶しいととる人もいるでしょう。まっすぐに好きと言ったり行動をとる様をピュアと捉えることも、周りを気にしなさすぎる無神経な人、と捉えるもできる。そこがいい意味での塚田くんの「わかりやすさ」かなぁと思います。好きになる理由も嫌いになる理由も同じ場所に存在して、そのどちらかを選ぶかは受け取る人次第。

それが今のところ、かなり好転的に働いているなーと思います。すごいことだと思います。大事にされてる、愛されてる、って思えます。塚田くんをいじわるに料理することはきっと簡単なのに、そうじゃなく扱って貰えてるところ。

 

テレビに出始めるようになった当初は、特別ゲストとして招かれているからMCの人に話やギャグを振って貰っていたけど、今ではもう特別じゃない、他のテレビの人たちと同じ土俵に塚田くんは立っているんです。塚田くんはお呼ばれ転校生じゃなくて、もう仲間なんです、メンバーなんです。テレビの中の世界で。これからはテレビに出ることが目標じゃない、テレビの中に出続けることが目標であり日常にさせていくのです。続けること、って一番難しいです。テストで100点とるのも大変なのに、テストで100点とり「続ける」ことってもっともっと難しいことです。テレビに出ていなかった期間を体験しているから、テレビに出ることがまずすごいことであること、そしてそのすごいことを何度も何度も繰り返していかなくちゃいけない。「特別」だった値を今度は標準にしなくちゃいけない。なんてすごいことをこれからやらなくちゃいけないんだ、塚田くんは……!!

って考えているのはまあ私だけで、塚田くんはもっとシンプルな人で、シンプルな言葉を届けてくれます。私がどれだけ重くなろうと塚田くんにはまったく関係ない。劇場に足を運べばこの目で生の姿を実感出来る距離に塚田くんはいますが、それって本当に一方的なものでしかない。

 

 

私はアイドルって、衣装を着るからアイドルになるんだと思ってました。その衣装は、普段に着ていたら悪目立ちでしかないステージの上でのみ着ることが出来るキラキラギラギラの衣装のことでもあるし、見る側が自分の主観を都合よくえらんで与えた虚像の意味でもある。自分でないものが与えられることが、アイドルなのだと思っていました。でも私の中の塚田くんって、衣装を着ていようがいまいが、アイドルなんです。キラキラなスパンコールがついていなくても、一部を都合よく解釈した側面を切り取って眺めていても、塚田くんという人は揺るがなくそこに立ってくれている。衣装を着るし着替えるし、自分でも自分の衣装を持っていて、こちら側が一方的に与えた衣装も、自分のものにしてしまえる人。

 

塚田くんがこれからも、いろんな衣装を着ていく姿が見たいです。そして、それを自分の衣装に染めてしまう姿を。そういう衣装を私はせっせと塚田くんに着せている訳ですが、それなのに塚田くんはその都度、「どう、似合うかな?」とでも言わんばかりににっこり笑ってくれるのです。塚田くんには敵わないなぁ、とこれからもずっと思わされ続けていたいです。

 

 

 

28歳の塚田くん、ありがとうございました。

29歳の塚田くん、また1年、宜しくお願いします!

 

 

 

塚田くんのことが大好きだよー!幸せであれ!!

*1:2013年頭に放送されていた「J's Journey A.B.C-Z オーストラリア縦断 資金0円 ワーホリの旅」のことです。素のえびちゃんが盛りだくさんなので、まだ見たことない方はぜひに!!

*2:今までの人が、ドラマは出るけどあてられる役がコメディキャラクターものばかりだったり、メインMCのバラエティで「お前は人気がない」「ジャニーズじゃない」とされる扱いに凹んできたジャニオタ人生でした。

おまじないみたいな言葉、唱えてよ

まず最初に書いておきたいのが、私がこの記事で話したいのは件の個人やグループの話ではない、ということ。

 

ジャニーズなのに○○、ジャニーズらしかぬ●●、という煽り文句は昨今珍しいものではなくなってきた。ジャニーズがパンストを被ったり、Tシャツを一部切り取って乳首を出したり、ラジオで初チューの話をしたり、バラエティ番組であんたはジャニーズじゃないキラキラじゃない、と詰られたりしている様を目の当たりにしてきたジャニヲタ人生だった。私の中では「ジャニーズらしいジャニーズ」の実像の方がずっと見えなくて、長らくジャニーズのアイドルを好きでいながら、ジャニーズという存在を縁遠く感じていた。そんな私が、ジャニーズらしいジャニーズってこれだ!と思えたのはA.B.C-Zを知ってからで、今そこは、一旦脇に置いておく。


ジャニーズ、とは。

 

私は「デビュー=永久就職」だと思っている。思っていた。デビューというのは一生単位の契約で、それが打ち切られることは絶対にないのだと信じていた。だから気楽に好きになれたし、熱心に応援も出来た。一生ステージの上に、テレビの中にいることを約束した人達。どのタイミングで顔を上げてもそこには必ず彼等がいて、当たり前のように応援することを、また離れてしまうことを受け入れてくれる人達。エンドロールの流れない映画、生産を絶やすことのない商品。それがデビューをした「ジャニーズアイドル」だと思っていた。

それに付随して、デビューをするという明確な意思が固まってないままデビューをした人達のことを可哀想に思うこともあった。自分の意思ではないところで、自分の一生を決められてしまう。デビューするということは、グループとして一生を終えなければいけない、問答無用の絶対契約で、デビューをしてしまったらそれ以外の道を一切捨てなければいけない。それくらいに恐ろしいものだと思っていた。得られる名誉や栄光や目が眩むような華々しさより私は、捨てるものの多さ大きさその重さが先ず頭に過ぎって怖かった。

 

一度デビューした人が、事務所を辞めてしまう。それも、自分の意思で。それって、可能なことなんだ。私はそのことを知ってしまった。

 

 

 

「ジャニヲタの自分」「社会人としての自分」「ひとりの人間としての自分」大体この三つの視点で、それぞれの立場から混じり合わない感情を抱きながら、今回のことを自分なりに整理しようと試みている。

 

ジャニヲタとしての自分は、やっぱり、好きなアイドルには一生アイドルでいて欲しい。現実の相手には求められないような自分勝手な理想をアイドルに求めたい。その替わりに、決して少なくない時間やお金を払う。言葉を尽くして賞賛を発信する。求めるなりの代償は、ぴっちり平等にはならなくても、払っていくし払っていきたいと思っている。加えてジャニーズという事務所は、SMAP以降グループの解散はないし、先にも挙げたようにデビュー=永久就職だから、グループの形がなくなることはない。絶対になくならないから、ジャニーズを好きになったんだとも思う。

社会人としての自分は、選択が欲しい。自分も人間なんだからどんな人生を送るか選ぶ権利がある。普通の人より多くのお金や特別な待遇を貰えるからって、過剰に期待されて届かなかったら叩かれて、好きだ好きだといいながらいざという時は簡単に手のひらを返される。得られるものの替わりに、諦めなければいけないものも山程存在する。そんな仕事、ずっとは続けていられない。

ひとりの人間としての自分は、自分が出来もしないことを他人に押し付けるのは理不尽だという。夢や理想を他人に求めるなんて、その行為自体が間違っている、と。

 

アイドルって普通なの?

自分には絶対に送れない人生を送っている人への賛辞と賞賛と期待と投影、それを受け入れてくれるのがアイドル。アイドルとは特別な存在なのでは?

アイドルだって人間だ。どんな風に生きていくか選ぶ権利がある。

普通の人間にとびきり特別な感情と、普通に生きているだけでは感じられない感動を与えられる?

 

ファンが抱く、アイドルに対して尋常じゃない夢や期待や欲望、それら全部を抱えてくれる、抱える覚悟がある、抱え続けてくれる、そうやって一生を全うしてくれる人を「アイドル」と呼ぶのだと私は思っていた。更に、一生アイドルで居続けてくれる人を「ジャニーズアイドル」と呼ぶのだと。

 

そういう選択を選んだ彼を責めたいのでは決してない。まず私は担当ではない。だから私は、社会人として、ひとりの人間として彼のことを考えた。続けることもやめることも、どちらを取るにはどちらかを捨てなくてはいけなくて、天秤にかけられるものなんかじゃないのに、それでもどちらかを選ばなくちゃいけない。彼の人生に関わってきた人間の数は私の人生が十回以上あっても足りないと思う。それくらいの数の人間に絶対的に影響を与えてしまう選択を選ばなくちゃいけないなんて、想像しただけで息が苦しい。

私は、私が思っていた、絶対だと信じていた「ジャニーズ」の形が崩れた*1、その衝撃と動揺が、ずっと体の中に響いている。*2 特別な人達だと信じていたのに、ある日いきなり、「俺も普通の人間だから」、それに近い言葉や態度を向けられる日が来るのかもしれない。ジャニーズって、アイドルの中でも更に特別な人達だと思っていたから。理想が崩れる未来が起こり得ることを、その可能性を見つけてしまった、知ってしまった、立ち会ってしまった。なかったはずの未来の選択肢が新しくひとつ、生まれてしまった。本当はずっとそこにあったんだと思う。でも私はそれに気付かなかった。あるいは、勝手にないものとして扱っていた。

 

どれだけ箱庭のような世界であっても、絶対なんてこの世には存在しない。寧ろ、戻っているのかもしれない。解散していったジャニーズ、フォーリーブス。事務所を離れて活躍しているタレントは少し過去に遡ればたくさんいる。その歴史を私は舞台で教えて貰った。ABC座ジャニーズ伝説。

私が信じていた、知った気でいた世界が形を変えていく。それがいいものなのか悪いものなのか、現時点では結論は出ないのだけれど。

 

 

 

 

自分は今アイドルに傾倒しすぎている、と気付いたときに私の頭の中に流れるのは、関ジャニ∞のクルトンの歌詞。

君の未来に僕はいるの?

君を求め過ぎているのかなぁ

すり減った靴 ボロボロのTシャツ

君が僕を強くしたんだ

 

 

どうか、アイドルとファンの夢がなるべく同じものでありますように。

 

 

 

 

 

「持ちつ持たれつやっていきましょう」キツネ顔の最年長の笑顔が思い浮かんだ。

*1:デビューをしたジャニーズは、一生アイドルでいてくれる。

*2:他の二人に関しては、特例だと私は認識した。でも今回は特例というより、ジャニーズタレントの今後の選択肢のひとつとして確立したように、私の目には映った。

ABC座2015『サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム』


今年は一幕が錦織一清さん演出の【THE PLAY】『サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム』、二幕がジャニーさん監修の【THE SHOW】『We Love A.B.C-Z』の、舞台とショーの豪華二本立て!です。

今までと今年の大きな違いは、ジャニーさんのクレジットが【作・演出・構成】から【監修】に替わったこと演出をジャニーさんではなく錦織さんが手がけていること、そして演者に事務所以外の外部の人が携わるようになったこと*1
私はジャニーズ舞台はA.B.C-Zからなので、今までのジャニーズ舞台と比較しての話は出来ないのですが、「ジャニーさん色が薄まったジャニーズ舞台」であり「ジャニーさん以外の人が手がけたジャニーズ舞台」になり、けれど「ジャニーズ事務所を長く生きてきた人が手がけたジャニーズ舞台」と、今回のえび座は多様な捉え方が出来て面白いなぁと思います。

 

 


あらすじ


2015年に活動しているA.B.C-Z5人が演じているバンド「プラネッツ」が、ひょんなことから1966年にタイムスリップしてしまう、というお話。なので大きく分けると、「タイムスリップ前の現代」「タイムスリップした過去」「そこから帰ってきた現代」の3つが主な時代軸となります。
タイムスリップで有名な作品といえば『バックトゥザフューチャー』。映画の公開は1985年なのですが、劇中にもこの作品を挙げる台詞があります。
私は今回のABC座を「バックトゥザフューチャー×ジャニーズ伝説」の系譜作品、という目で見ています。

プラネッツがタイムスリップした1960年代というのは、前作前々作の「ジャニーズ伝説」とまったく同じ時代です。ジャニーさんが一番キラキラしていたという時代を、前作では「ジャニーズ」という実在したグループを事実に沿って脚色を加えた物語として、今年はそれを「プラネッツ」というバンドでフィクションの世界を創りあげました。
2013年ABC座「ジャニーズ伝説」初演の年は、ジャニーズ伝説創立60周年の年でもあり、そのアニバーサリーにジャニーズ事務所の歴史を綴った舞台をA.B.C-Zが手掛ける。その事実だけでジャニーさんはA.B.C-Zに並々ならぬ特別な思い入れがあるのではないか、そう考えるのに十分な仕事をジャニーさんはA.B.C-Zに与えているように私には感じられました。
1960年代を生きた人達をA.B.C-Zが演じるのではなく今年は、2015年現代を生きるA.B.C-Zにタイムスリップというフィクションを加えて、現代の目から1960年代を体感させる。それはまるでジャニーさんが、ジャニーさんの生きてきた時代を、A.B.C-Zに肌で歴史で感情でわかって欲しい、という思惑が込められているように感じられました。

 

 


3つの視点


「タイムスリップ前の現代」「タイムスリップした過去」「そこから帰ってきた現代」と3つの時代があるように、この作品は3つの視点から物語を追うことが出来ます。
まず物語の主人公である「プラネッツ」の5人、そして現代から過去へと一緒にタイムスリップしてしまった白猫「ラム」、多くの謎に包まれているレコード屋を営む「五郎」の3つです。

プラネッツ視点は物語通りですね。白猫を助けようとしたら過去へタイムスリップしてしまい、そこでの成功と衝突、リョウスケの死と生還から、現代へと帰ってくる。
白猫・ラムは舞台唯一の女性である蔵下穂波さんが演じていますが、紅一点と同様に一匹だけ人外です。観客と近い視点を持つプラネッツとは異なる、「人間じゃない」視点からラムは自分の世界を物語っています。
そして五郎さん。五郎さんは上に挙げた3つの年代、全ての時代を生きている人です。ジャニーズ舞台といえば、演者と役名が同じ名前であることが第一だと思うのですが、五郎さんだけは違います。そこの話もまた追々。

 

 


ジャニーズ×プラネッツ


2013,2014年のABC座ジャニーズ伝説と並べて考えます。

ジャニーズにとってのヨウセイ・ミズキとその兄、ビング・クロスビー、ディボーソンなど、ジャニーズをスターへと導いてくれた人達、そして本編には描かれていませんでしたが、ジャニーズ四人と共に行動していたであろうジャニーさん、それらの人達全てを五郎さんに当てはめて見ています。
劇中で五郎さんの生活を心配するプラネッツに五郎さんが「他人の家の張り紙なんか気にしなくていい」という台詞があるのですが、プレイヤーはプレイヤー活動にだけ勤しめばいい。そんな風にも受け取れます。
五郎さんは元バンドマンで、劇中でも五郎さんがギターを弾いてバンドを合わせるシーンがあるにも関わらず、五郎さんがプレイヤーとして売れていくことは一切ありません。プレイヤーはプラネッツの5人、五郎さんは面倒を見てくれるし、おそらく仕事の手配もつけてくれています。五郎さんは裏方的役割を全て担ってくれています。その姿勢に、今尚メディアに顔を出さないジャニーさんと重なるところもあるように思います。


ジャニーズは解散してしまいましたが、プラネッツは解散しません。
私が思うにこの作品は「プラネッツが解散しないこと」がものすごく大事な要素なんだと思います。
タイムスリップ前の現代では「ギクシャクした関係がサウンドにも出ている」といわれてもいて、音楽の方向性を模索していたプラネッツは、過去にタイムスリップすることで自分達の行き先を見つけることに成功します。それは恐らく現代にいただけでは見つけられなかった道で、タイムスリップしたからこそ未来に繋げることが出来た。
成功が続くと衝突が生まれ、その衝突に奇しくも合わさって起きたリョウスケの事故死を、猫の不思議な力を使って生還させる、というフィクションの力を大きく使って、プラネッツはその存続を保つのです。
そして一幕最後では、5人のプラネッツとして5人揃って現代へと帰ってきます。
五郎さんは元バンドマンですが、五郎さんも昔に同じ「プラネッツ」という名前でバンド活動をしていましたが、当時のメンバーのひとりである酒屋の息子は既に亡くなっています。五郎さんはもう自分自身の「プラネッツ」にはなれないのです。戻れなくなった過去を持つ五郎さんと、戻る未来を用意されたプラネッツ。同じ名前を持つバンドが、自分の持つ苦い過去の過ちを侵さずに済んだこと。そして、解散してしまったジャニーズ4人と、4人から5人へなったことでデビューを果たしたA.B.C-Z。ふたつの過去と未来が重なって見えます。

 

 

 

白猫「ラム」

 

もしもラムを助けなかったら、もしもタイムスリップしなかったら、もしもラムがリョウスケを救ってくれなかったら。ラムには色んな「もしも」が含まれている、この物語のフィクション部分を担う存在です。

「猫は不思議な生き物だと人間はいうけれど、猫からすれば不思議なのは人間の方だ」

「ここだけの話、猫は人気者になりたい訳じゃありませんから」

「猫に不思議な力があるというのは神様本当ですか」

「2度救って貰ったこの命。2回分あなたに捧げても構いません」

「リョウスケを再び目覚めさせ、5人の若者を元の世界へお戻し下さい」

「神様お願いします!神様お願いします!神様お願いします!

唯一の女性で人外であるからか、現実とは一線を介した位置にラムは置かれています。猫の不思議な力を使ったラムはリョウスケと位置を立ち替わり、ラムのいた位置にリョウスケが現れ、何事もなかったかのように手を挙げて悼む4人に「よっ、元気?」とでも言うかのような軽さで以ってこの世に帰って来ます。リョウスケに命を救われたラム、リョウスケとだけ会話が出来るラム。

そんなラムが再びリョウスケの目の前に現れたときは、もう猫ではなくなっていました。夢を叶えた五郎さんのスタジオで、エプロンの下に尻尾を隠した、「ホナミ」という名前の一人の女の子。半世紀の時を越えて、夢を叶えた場所で3つの世界がまた結び合った。とてもロマンティックで素敵な演出です。

 

 

 

「五郎さん」という象徴

 

先に書いたように五郎さんは「ジャニーさん」の象徴であり、更に本編では「フミト=サターン」にも当てはまる存在です。

ジャニーズ舞台における演者=役名の法則を唯一無視した「黒坂五郎」という名前がまず象徴性の高さを表しています。

プラネッツの「マネージャー」として様々なライブハウスに掛け合ってくれたり、生活の面倒を見てくれたり、グループの心配を心配して声をかけてくれたり。五郎さんはずっと輪から少し外れたところからプラネッツのことを助けてくれます。

劇中ではタイムスリップしたてのフミトのハットを奪って被り、部屋の本棚の上に飾って置いてあり、50年後の現代でも赤から紫に色褪せてしまったハットをずっと被り続けています。「俺一人で楽しみ過ぎたんだ」という五郎さんの言葉に、「俺は一人で有頂天になっていただけなんだ」とフミトも自分を五郎さんに重ねています。

五郎さんのバンドのメンバーである酒屋の息子は死に、そしてフミトもリョウスケを失いそうになる。境遇もほとんど同じです。プレイヤーとしての五郎さんの夢は仲間が亡くなってしまった以上どうしても叶いませんが、スタジオを建てる、という五郎さんの夢をフミトは自分のことのように大事に扱います。その想いが強すぎて、自分たちが元にいた世界、本来の自分たちの世界を大事にしようとしたリョウスケと衝突してしまうのは悲しいですね…。

そんなフミトに対して現代に帰ってきた五郎さんは、元はフミトのものであった50年もののハットをフミトに被せ、穏やかな声でフミトを「リーダー」と呼びます。五郎さんの叶わなかった夢をフミトは達成させることが出来ました。

 「スタジオを作るのに50年も掛かってしまった」ジャニーズ事務所は1962年創立、2013年で50周年。ジャニーズ事務所の時代背景や年数と重ねているところも興味深いです。ジャニーズは50年の間数々のトップスターを輩出してきた一流の事務所であることは間違いないのに、50年の時を越えて現代へと帰ってきたA.B.C-Zが演じるプラネッツがオープン初日の初めての客になった瞬間、「夢が叶った」とこの作品は物語っています。ジャニーさんがA.B.C-Zのことを「ずっと待っていた」と言っているように聞こえてならないのです。*2

 

 

 

物語の解釈

 

本当は、五郎さんはすべてを知っていたのではないか、プラネッツはタイムスリップ先で死んでいたのではないか、すべて五郎さんの妄想だったのではないか、と色々と想像を巡らせていたのですが、観劇の回数を重ねたことと、追加された台詞と演出で物語はとってもシンプルだったことがわかったのですが、改めて書き起こしていこうと思います。

 

  • 「プラネッツ」と「A.B.C-Z

1幕冒頭でA.B.C-Zは登場しません」「プラネッツというバンドの誕生秘話」「タイムスリップして一回り成長して帰ってくる」「プラネッツがどうしてもやりたいって」「俺たちと同じ日生劇場でデビューになるんだね」とプラネッツ≠A.B.C-Zであることと同時に、プラネッツ≒A.B.C-Zであることを本人たちの口から発表されていますね。

 

  • 交通事故でタイムスリップ

タイムスリップのきっかけはリョウスケがラムを庇った弾みで起きます。車でタイムスリップ、というシチュエーションはまさに『バックトゥーザフューチャー』ですよね。ラムが「私のせいだよ」というのでタイムスリップの力の源がラムにあるんだと思います。それじゃあ帰りは一体?とここで詰まってうんうん唸っていたのですが、答えはものすごくシンプルでした。最後にラムが「車」と事故にあっていたんでした。ラムの願いは「リョウスケを再び目覚めさせ、5人の若者を元の世界に戻すこと」で、代償に2回分の命を神様に捧げます。最初は神様にお願いしていたラムですが、すっと立ち上がり、「いいえ、聞いて貰います」「私も頑張らせて頂きますから!!」と猫の不思議な力とラムの願いが無事に届いて、プラネッツは5人での生還が叶ったんですね。

 

リョウスケが死んだことの演出は、空っぽの0番に当てられたピンスポで表現されています。空っぽの0番に向かって語り掛けるフミト、0番を空けて歌う4人。

土管の上でラムが神様に願いを伝え、舞を踊り始めると、0番のピンスポはコウイチに向けられます。背景の映像は60年代でも現代でもなく、宇宙を彷彿とさせるような夜空。あの世とこの世の狭間で不思議な力を持つ猫の舞を引き継いで、コウイチが0番に当てられていたスポットライトを浴びながらひたすらに踊り続けます。そしてそのライトは、ぴょこん、と土管の上に現れた何事もなかったかのように気軽に手を挙げて挨拶をするリョウスケに帰っていきます。生き返ったリョウスケの浴びる照明は、0番の照明なのです。ここがねーーー美しくって!!素敵な演出です!!

 

 

 

オリジナルアルバム、初シングルCDリリースと、A.B.C-Zは今確実に変わろうとしてきています。そして、ジャニーさんも。その狭間の時間を共に過ごせていること、見させて貰っていること、有難いです。とってもとっても面白い。五郎さんのプラネッツは終わってしまったけど、A.B.C-Zのプラネッツは続いていくし、ジャニーズは解散してしまったけど、A.B.C-Zは5人になってデビューを果たし、今尚成長を続け、追い風を実感しつつある。

 

「時を越え5star」「繋いでいくstory」「夢と夢を繋げ 遥かなstory 」「続いていく伝説」

 

過去から蘇った今を生きるA.B.C-Zの今後の活躍も楽しみにしています!

 

 

*1:といっても曽我さんは元ジャニーズの方ですし、蔵下さんもつか×ニッキ×戸塚舞台ではお馴染みとなりつつあるので、あまり外部外部していないのですが…

*2:ヤッチンさん担の方から見たら、また違ったジャニーさんと五郎さんのドラマがあるんですかね?気になるなぁ…!

思い出がなくなってしまった話。

先日、Twitterでちょっとした卒業式を一人で開催しました。

今回書きたいと思ったのは、その卒業式の内容がどういうもので…というより、タイトルの話がしたい。そのことを書いておきたい、と思ってこの記事を書いています。

 

思い出って私、不変のものだと思っていたのです。

たとえば別れた恋人や、今は疎遠になってしまった友達で考えると、別れてしまったから、今は連絡を取っていないから、という「今」の理由で「過去」が変わることはない、と思っていました。時間を割いていなくても、お金をかけていなくても、今のその人を知らなくても、過去は絶対に変わらない、忘れてしまうことはあっても、事実そのものが消えることは絶対にないのだと信じていました。

 

私が5人を好きになったのは、私がまだ制服を着ていた頃でした。当時はSNSより個人ホームページの文化が強くて、身近にジャニオタもいなかった私は、なんとなく彼らが好きだと私に教えてくれた友達と2人だけで、彼らを共有して楽しむようになりました。売れてない時代がどうこう、この作品は彼のこういう部分を書き表しているどうこう、ファンの間ではこういう認識が定説でどうこう、は、私とその友達の世界には一切入って来なくって、レギュラー番組を見たり、出演している映画を見たり、ただそれだけで楽しかった。その友達から「ジャニーズが好きな人って、自分が好きなタレントのことを『担当』って呼ぶらしいよ」と聞いて私は、それなら私は、グループの中でも彼のことが好きだから、私にとっても『担当』は彼なんだな、と、それもなんとなく、そう思っていました。

グループについて彼について、個人ホームページでブログを書いたりしていましたが、基本的にそれらは「レギュラー番組がどうだった」「コンサートでこんなことを話していた」という、受動的に拾った情報の感想をただ書き連ねるための場所で、彼らを取り巻く世界だとか、事務所の歴史がどうとかは露ほども知らずに、ただその時間、提供されるものを楽しむだけで私は満足でした。

私の中で彼はわざわざ看板を掲げるような『担当』ではなくって、ただ自分の中で名札をつけるのなら、どうやらその言葉が適切らしい、という受動的なタグ付けでした。

 

だから、私が何かを言う権利ってないんです。ジャニオタというカテゴリに今は身を置いてしまっている私が、言葉の重さや歴史を知ってしまった私が、今の彼に彼らに時間もお金も手間も感情も費やしていない私が、件についてネットに発信する言葉は、権利は、なんにも持っていなかった。

 

思い出ってずっと変わらないものだと思っていました。10年20年経っているならまだしも、彼らの姿形は私が好きだったころとそんなに変わっていないし、結婚も解散もしてない。彼らの今の姿を見て今の彼らにときめく、というより私は、今の彼らを見て当時の好きだった感情を思い出して、それを大切に撫でていた、はずだった。

 

今の彼らをもう知らなくても、雑誌を見れば、コンサート映像を見れば、当時に感じた熱量や感情を引き出しから取り出して、楽しかったなぁ、こういうことがあったなぁ、このとき友達とこんな話をしたなぁ、って思い出せていた感情が、すっかりなくなってしまっていました。忘れた、のではないと思います。だって、少し前までは確実にその感覚は私の手の中にあった。消えてしまったんです、思い出が。当時に感じた感覚が、手の中から消えてなくなってしまいました。

好きじゃなくなるくらいなら、今追うことをあきらめて、一番楽しい思い出として美しいままで保存しておける。そう信じていたのに。

 

 

 

 

一番伝えたいのは、俺が嵐の仕事をやってる間に、そういうことやって楽しんでるっていう、忙しくても好きならなんでも出来るよ!みたいなことを伝えたかった。

 

 

 

 

伝えて貰ったはずなんだけどなぁ。すっごくすっごくすっごく大事にしていた言葉だったはずなんだけど。

 

怒りたいのでも憎んでるのでも責めたいのでも改めて欲しいのでもなく、ただただ、消えちゃった。そんなことってあるんだなぁ、知らなかった。消えた思い出って、手応えがなくなってしまった感覚って、もう一度蘇ることがあるのでしょうか。失くしてしまったことがないから、私にはまだわからないや。この感覚、初めて知ったなぁ。というお話でした。