梶山朝日くんのはなし
その後の話。
朝日がステージの上からいなくなる、という未来はまったく予想だにしていなかった。
本当に楽しそうに踊るし、人に見られることもそんな自分も大好きなことが全身から伝わってきたから、もしジャニーズを辞めることはあっても、違う何かに転生して、人に見られる仕事は続けていくものだと信じていた。
朝日には必死とか背負うって言葉が似合わなくて、自由で楽しそうで、だから気軽に好きになれた。好きなときに気軽に楽しもう、朝日は絶対にいなくならないのだと信じて疑わなかった。その考えがJr担として甘い、って思われそうだから書くのを躊躇っていたんだけど、それでも私にとって朝日はそんな存在だった。
「夢のハリウッド」、Travis Japanの初めてのオリジナル曲。私は9月の帝劇に行かなかったので、10月のえび座で見る夢ハリが初めての夢ハリだった。
荘厳なイントロからもうめちゃくちゃよくて、日比谷の劇場で披露されることに長け過ぎていた。
まず私はえび座は少年隊PLAY ZONEの系譜舞台だと思っていて、劇中曲として作られた訳じゃないのにジャニーズ伝説のワンシーンとして使われても何の違和感もないこと、えび座×トラジャ×夢ハリ、全ての乗算がこれ以上ないってくらい擦れ合ってエネルギーを膨らませて、劇場中にビッグバンを起こしていたこと。そして、A.B.C-Zがメインの舞台にも関わらずあの時間のメインはTravis Japanで、トラジャの後ろで5人が躍っている姿、Jrのオリジナル曲をそんな風に使ってくれたA.B.C-Zの計らいに、堪らなく胸が締め付けられた。
夢ハリがトラジャの初めてのオリ曲として最強に最高で、えび座の夢ハリがとてもとても素晴らしい位置づけであればあるほど、私は朝日の選択を受け入れるしかなかった。
こんなにも眩く輝けるステージを降りて、非日常を手放して、朝日は違う道で歩くことを選んだのだ、と。
18歳。青山劇場のステージに一か月立ち続けた夏を経た男が選んだことだ。18歳の朝日は確かに若いけど、絶対に絶対に、子供じゃない。
前記事を書いたとき私は、朝日がいるトラジャというより、ヒロキがいるトラジャに強く興味を動かされていた。
グループのカラーは最年長の在り方で決まると思っているので、ヒロキが最年長なTravis Japanはとてもとても魅力的に映った。
朝日を私の中心に、ヒロキをトラジャの中心に置いて、トラジャの物語に参加できたらな、と思っていた矢先にヒロキがいなくなってしまった。
朝日のために取った湾岸に朝日はいなくて、乗ろうとした船は足踏みをしている間に出航してしまったけど、でももしかしたら、ヒロキがいなくなったときにはもう私は諦めていたのかもしれない。湾岸に朝日がいても船には乗らなかったんじゃないかな。今では全てが空想でしかない。
結局私は朝日に何もしていない。何もしてないから解き放つべき感情がわからなくて、でも何も思わない訳なくて、深くは踏み込まずちょっとだけ話題に触れてみたり、まったく触れないで自分だけのものにしてみたり、この一年間、ずーっとじゃないけどぽつぽつと小刻みに、私なりに朝日の不在について色々と考えた結果、今ならこの記事を書いても許されるかな、と自分で思えるようになったのでこうして書いています。
朝日の姿を見れない今を、悲しいと呼ぶのも寂しいと呼ぶのもなんだかしっくりこなくて、ずっと言葉に迷ってた。
多分、自分より遥かに若いと思っていた18歳の男の子が、驚くほど大胆に「大人」になることを受け入れた事実に今でもずっと驚いているのかもしれない。
あのまま「今」を続けていた方が私には「大人」を選ぶよりずっと簡単に思えたから、あんなにも大好きな場所を手放した決断と勇気が強くて眩しい。そして、私が好きになった男だな、と思う。めちゃくちゃ偉そうで申し訳ないんですけど…。
ステージから降りることを選んだ朝日に一切の負の感情を向けたくなくて、朝日の選択を悲しいものにしたくなくて、朝日の足を引っ張るような感情を一切持ちたくなかった。実際私は悲しんでない。置いていかれたような虚しさは私のもので、それは私の人生で回収するべき感情だ。
思い描いていた未来は来なかったけど、恨まずに終えられてよかった。言葉に迷っていた時期も、今も、きっとこれからも、私の中の朝日はずっと自由です。
いつかふらっと顔を見れる未来にほんのちょっとだけ期待して。梶山朝日くんの選んだ道が幸せでありますように。