えりあし

思ったこと、残しておきたいこと、いろいろ

塚田くんと発信のスケール(ちょっとだけ相葉くん)

 

言葉を発するにあたって、頭のてっぺんで思い付いたそれを、声にして口から外に発信するまでに、1から10までの数字を通るとします。すごろくのコマを想像して頂けたらと思います。

1で思い付いて、2で思考を言葉にして、3でこの言葉は人に伝えてもいいかを考えて、4でこの言葉を相手に伝えたら相手はどんな風に受け取るか考えて……といった段階を踏むとします。子供はその過程が短くて、3に辿り着いた時点で発信してしまう。3の次には4,5…と続くことを知らないから。そのせいで人から非難を受けたり正されたりして、学んで、言葉を発信するには4,5,6……と過程を踏むことを自然と覚える。大人は1から10までを一瞬で辿れるけど、子供はその道を通り慣れていないから、通る時間が遅かったり、飛ばしてしまったりする。

 

この道を辿れるようになる、5,6,7…と先があることを見つけるまでには経験しかなくて、大人の方が何度も通っている道だから自然と詳しくなるけど、大人だけど道をうまく作りきれてない人はいるし、逆に子供でも道作りが抜群にうまい人もいる。子供の内は通り慣れてないから、道を間違えても許されるけど、大人になるとそうもいかない。でも、道をまっすぐ辿れないから「悪」になるかっていったら、そうでもない。それが「天然」になるか「無神経」になるかは紙一重、その人次第。つまり、個性。

嵐の相葉くんは、昔こそ、10代とかは、この道を通るのがどうやら苦手な人で、同年代の人は8まで確実に踏めるのに4以降を飛ばしてしまって、そのせいでトンチンカンな発言になってしまったりしてたと思うんですけど。

今の相葉くん。1から10まで道があることを知ってるけど、4で発信しちゃう。4の次は5があって6があって7があって……を知っているけど、それを、4でシャットダウンしちゃう。4以降の存在をみえなくする。4をゴールにしてしまう。そういう人だと思ってます。それは計算とは違くて、意識的な調節も確かにあるだろうけど、前のめりになるってこと。

 

塚田くんもそれに近い人だと思ってて。相葉くんは、数字の途中で止まってあとをすっとばす人、だけど、塚田くんは、選んで数字を抜いちゃう人。1,2,5,8,10だけ踏んじゃう。一部を無視する。わざと踏まない。

塚田くんの発する言葉で、人の気持ち、場の空気を全然考えてなさそうな時。

例えば、ワーホリ旅、五関くんとのサファの回。有料のサファ探しを五関くんの反対を無視して相談せずにオッケーしてしまう塚田くん。お金がないワーホリ旅なのに有料施設を利用するのは資金の損。だけど、ワーホリ旅の前にこれはテレビ番組だから、危ない橋を渡りたくない五関くんとこれからどうするかを真剣に話し合う時間にカメラ回すだけ無駄だし、個人経営の動物園で募集人員も決まっていた中にプラス二人加わった所で給料払う園側の負担は大きいし、働けなかったら二人は本当に時間の無駄だしカメラに映らないしで、そんな様子が茶の間に流れたところで、絵もつまらないし二人も美味しくもない。から、五関くんを無視して二つ返事でオーケー出しちゃう、あの絵、最高に面白かった。この場合、抜かれた数字のコマには「旅の金銭状況」「五関くんの意見」が書かれていて、塚田くんが選んだコマには「テレビ番組の企画」「テレビを見てる人が楽しめてるか」が書かれていたんだと思います。全部のコマを踏んじゃうと、何の波もない絵になってしまう。

 

文字にすると小難しくなってしまうけど、思考を言葉にするまでの過程なんて本当に一瞬だし、殆ど反射みたいなものだろうけど。えび座最後の挨拶で、たどたどしくも言葉を紡ぐ塚田くんは、ゆっくりゆっくり数字を踏みしめながら、思考と正しいゴールを目指して、道を進んでいるようだった。塚田くん、A.B.C.だったし、A.B.C-Zだなぁって。何回道を通ってきたんだろう。探り探りだったり、突っ走ってしまったり、色々、私が知らない世界と景色を経験してる人なんだよなぁって。

 

自分のコントロールの仕方が自然に出来る人。個性と俯瞰を測ることを怠らずためらわない人。なんだと思ってます。塚田くん、好き!っていう、それだけの話。