イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー~パパと呼ばないで~
コメディ、パルコ劇場、レイ・クーニー、イギリス・ロンドン。公式HPを改めて読み返して思ったのが、なるほど、わからん!ってこと。
私は舞台演劇という文化に触れたのはA.B.C-Zがきっかけで、今まで見た作品もすべてジャニーズが関わってきたものしか観たことがなくて。サブカル文化というものに関心こそあれど、積極的にその世界へ足を踏み入れているかと言われたらそうでもなく。イギリスロンドンの社会的な歴史も知らない。優秀なスタッフ、ベテランの演者たち、と言われても、舞台役者さんのことは誰一人わからない。この作品を、舞台を語るにあたって私は、裏付けとなる知識はなんにも持っていません。私はただのA.B.C-Zと塚田くんのファンで、塚田くんが出なかったらこの作品に出会うことは一生なかったと思う。
でもね、すっごく、面白かったんです。楽しかったです。いいものを見た、なにも知らなくても楽しめた、すごく気持ちがいい。観終わったあとの幸福感、やばい。ただただ純粋に楽しかった。何も気負わず、目の前の光景を眺めているだけで面白かった。なんと更に、そんな作品に、自分の好きな子、今一番応援している子が、出演しているんですよ…!なんてお得!なんて素晴らしい!
東京に住み始めて十うん年。私が渋谷という街に足を運ぶようになったのは、成人を迎えてから。渋谷という街にさして興味はなかった。109に置いてあるファッションは趣味じゃないし、スクランブル交差点はいつ行っても人が多いし、道行く人とはなんにも接点が見つからない。私が渋谷という街に思い入れが出来たのは、塚田くんを好きになってからだ。Twitterという、なんとも便利で時々恐ろしいツールは、能動的に情報を追わなくても私に教えてくれた。塚田くん、めっちゃ渋谷いる。
若者の聖地、というよりむしろ、塚田くんの聖地・渋谷。そんな街でなんと、塚田くん、初めての外部舞台出演。しかもグループから一人。しかもコメディ。そして、パルコ劇場。
ハチ公改札を出て、スクランブル交差点を渡って、TSUTAYAの横の道を登って、曲がって、無印の看板の延長線上に、PARCO、の文字を見るこの景色、あそこを通る度に何度も思い出すんだろうな。
— あき (@aki_eras) 2014, 9月 24
パルコ劇場は映画館みたいだった。長方形の箱の中に椅子が詰まって置いてあって、ぱっと顔を上げるだけで最前列も最後列もすぐに視界の中におさまった。狭い。けど、窮屈さはない。公開して一ヶ月近く経った映画を観るときのサイズ感。つい先日、代々木体育館で見た人を、この距離から見れるんだ、って。舞台という世界はコンサートとはまた違った異世界のような空間。不思議なところ。まだ、どういう気持ちで居たらいいのかわからない。
塚田くん… pic.twitter.com/aL1IWorGlb
— あき (@aki_eras) 2014, 9月 21
ロビーのお花。popstyleさんからたくさんのひまわり。代々木では塚田くん(リカさん)のドレスにたくさんついていたお花。河合くんが、塚田くんのファンを例えてくれたお花。気高い。
私ずっと、怖かった。スタッフ、演者、劇場、デザイン。全てが完璧だった。悪いものがなかった。環境は完璧だった。ただ、塚田くんのことだけがわからなかった。
塚田くん、理数系のアスリートだから、創作という概念がない、って思ってた。いちから何かを創るということ。今までいた世界が身内を囲った空間だったから尚更。塚田僚一という存在ありきではない場所からやってきたお仕事。怖かった。
観終わってまず思ったのが、嬉しい、って気持ち。こんな素敵な仕事が塚田くんのところへ運ばれてきたこと、過去の塚田くんが今の塚田くんへ引っ張ってきた、掴み取ってきたお仕事。とっても楽しくて面白くて、ただそれだけ思える場所に、連れて来て貰えたこと。塚田くんに。すっごくすっごく、嬉しかった。
真面目にやればやるほど、塚田さんが演じるレズリーという人間の頭の悪さが見えてくる、というね(笑)。彼が、真剣になって振る舞えば振る舞うほどみんなが迷惑する、今はそこが全体的にとてもいいバランスになっているので。ーーー演出:山田和也さんのコメント
中屋敷さんの「塚田僚一くんはまったく初めてこういう世界に出会った感じですが、その彼に対して皆さんの演技が丁寧に作り込まれていくので」って本当にその通りで、何をしでかすか分からないレズリーを皆が厄介者として追い出したりハラハラしながら見守ったりする様が対つかちゃんそのものだなってw
— どさんこ (@dosankotv) 2014, 9月 20
塚田くんとレズリーくんの往復運動。舞台上にいたのは塚田くんじゃなくてレズリーくんだった。でも、役を通して塚田くんの存在は、間違いなくそこに居た。
舞台役者さんたちの中にぽんと放られた最年少塚田くんは、劇中でもまったく同じ立ち位置にいた。レズリーって、一人だけ、子供なんですよね。大人の吐いていく嘘を全然理解していなかった。レズリーはどうやら賢い子のようだから、本当は理解していたかもしれないけど、それでも舞台を見る限りレズリーは当事者であり部外者でもあったように感じた。レズリーにとってパパは、牧師でも医者でも、たぶんなんでもよかったんじゃないかな。
寂しさをぶつけた後にレズリーが望んだことはきっと、ママの幸せ、だったと思う。女手ひとつで育ててくれたママ。ママという存在は無敵な大人なのではなく、ひとりの女性だということをレズリーは気付き始めた年齢じゃないかな。18歳。レズリーはいつか結婚するし、今も彼女がいるかも知れないけど、それじゃあママは?って足を止める必要はもうない。ママにはパパがいる。本当のパパには奥さんがいるけど、自分がパパだと名乗るヒューバートは、きっとママを大事に愛してくれる。それが幸せだと思えるレズリーだったと私は結論付けたい。
当時のイギリスの社会も宗教も私は何も知らないけれど、18歳という年齢のときに、私も家族に悲観して泣き叫んでいたなあって思い出した。今まであまり気にせず生きてこれたのに、18歳、高校三年生になって突然、今の私の現状が悲しくて悲しくて溜まらなくなった。モラトリアム。私とレズリーの違いは、レズリーはママを愛していて、ママもレズリーを愛しているということ。外国が舞台、ということで幾らか緩和されていたものがあるなと思った。何処かしら他人事。
レズリー、片親いない中過ごしてきた寂しさが爆発しちゃった感じが、いつかの自分を思い起こさせて、ちょっと切なくなる。切なさは体に染み渡る前に、可愛いって気持ちに変わってた。寂しいんだよね、どれだけ友達がいたって人に好かれたって埋められない。親という存在。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
父親がいない中育ってきた期間、きっとずっと寂しくて、でも実は生きてた!しかも妻子持ち!ってなったときに、最初は憤ってたけど、怒りの毒気が抜けたあとに残ったのは、寂しさと愛だった。レズリーは父親を許した。すごい、すごいことだよ。私は許せなかった。大人になってからやっと。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
イットランズ、カズキヨデイヴィットのドタバタ劇なのはもちろん、レズリーが幸せになるハッピーエンドの劇でもあるんだよぉ。しあわせ。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
この舞台は拾いにいく舞台じゃなくて、こちら側が能動的に探しにいく舞台じゃなくて、与えられたものを受け止めるだけで最高に楽しくて。与えられるものも過剰過ぎず、そのさじ加減も向こうがしてくれてる。ただ作品に身を委ねればいい。一番最初にそう思って、最後までそんな感じで観てた。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
イギリスの文化も、ストレートプレイというものも、演者さんも、私にはきっと、知らないことが多かった。知ることも望まなかった。だから私はそれでいいんだと思う。でも、この作品ってすっごく特別だ。塚田くんが連れて来てくれた仕事、見せてくれた景色。ものすごく尊い。好き。大切。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
イットランズは、私の中で、今までの塚田くんが作ってきた道のゴール。入所してから、後輩のデビューする姿を眺めて来て、違うグループを貰って、A.B.C.がA.B.C-Zになって、デビューして、今までの道、全部繋がってるんだ、って、そう思わされた。過去があっての今、昔の答え合わせの今。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
私はその途中の道を知らない。最後の追い上げしか知らない。イットランズという最高に幸せなゴール、でもそれはまだまだ続く道の通過点でしかないこと。でも私は、塚田くんがゴールテープを切った瞬間を、見てきたんだと思う。大阪で、森ノ宮で。みんなに温かく見守られて、愛されている塚田くんを。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
塚田くんはいつだって答え合わせをしてくれる。生かしてる。変わってく。広がっていく。それをイットランズという形でみれたこと、作品になったこと、たくさんの人と関わったこと。一人じゃ、デビューしなきゃ出来なかったこと、かなって。Jrでも外部で功績を残している子はいるけど、
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
今の塚田くんはきっと、デビューしなきゃ見れなかった塚田くんだから。じゃなきゃ私もきっと、塚田くんに出会ってなかったし。繋がってる、全部。無駄なことなんてない。美しいな。歌みたいだし、漫画みたいだし、小説のようでもある。塚田くんの歩いて来た道が私に見せてくれたものたち。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
いい循環は、いいものを呼んでくる。人はいいものに集まる。塚田くんが築き上げてきた塚田くんの循環、いいものたち、巡り合わせ。その中にどれだけの努力と苦労と時間と様々な感情が込められているか私は知らないけど、全部、塚田くんのものだ。この仕事は、この気持ちは、塚田くんが呼んでくれたんだ
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
作品に関しては、楽しかったぁ、に尽きるし、環境においては、恵まれてるなぁ、だし、塚田くんのことが、好きだぁ、ってなる。全部全部、素敵だった。いい話だった。私がこんな気持ちになれるのは、あの舞台に塚田くんが居たから。居るだけじゃなくて、築いてくれたから、たくさんのもの。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
この仕事が次に繋がったときは間違いなく嬉しいし、次の次の仕事に繋がったときも、私はイットランズのおかげだと思うし、塚田くんもそう思ってくれたらいいな。全部繋がってるって思わされたい。おたくのわがまま。
— あき@現場メモ (@_akintbre) 2014, 11月 2
後は大体twitterで話したことがすべてかな。ステキな舞台でした。出会えてよかった。
多分また、割と近い未来に、塚田くんはまた、パルコ劇場のステージに立つんだろうな。って、なんの根拠もないけど、そんな風に思えた。そう思わせてくれた瞬間があっただけで、幸せ者だなあ私は。ありがとうね、塚田くん。