おまじないみたいな言葉、唱えてよ
まず最初に書いておきたいのが、私がこの記事で話したいのは件の個人やグループの話ではない、ということ。
ジャニーズなのに○○、ジャニーズらしかぬ●●、という煽り文句は昨今珍しいものではなくなってきた。ジャニーズがパンストを被ったり、Tシャツを一部切り取って乳首を出したり、ラジオで初チューの話をしたり、バラエティ番組であんたはジャニーズじゃないキラキラじゃない、と詰られたりしている様を目の当たりにしてきたジャニヲタ人生だった。私の中では「ジャニーズらしいジャニーズ」の実像の方がずっと見えなくて、長らくジャニーズのアイドルを好きでいながら、ジャニーズという存在を縁遠く感じていた。そんな私が、ジャニーズらしいジャニーズってこれだ!と思えたのはA.B.C-Zを知ってからで、今そこは、一旦脇に置いておく。
ジャニーズ、とは。
私は「デビュー=永久就職」だと思っている。思っていた。デビューというのは一生単位の契約で、それが打ち切られることは絶対にないのだと信じていた。だから気楽に好きになれたし、熱心に応援も出来た。一生ステージの上に、テレビの中にいることを約束した人達。どのタイミングで顔を上げてもそこには必ず彼等がいて、当たり前のように応援することを、また離れてしまうことを受け入れてくれる人達。エンドロールの流れない映画、生産を絶やすことのない商品。それがデビューをした「ジャニーズアイドル」だと思っていた。
それに付随して、デビューをするという明確な意思が固まってないままデビューをした人達のことを可哀想に思うこともあった。自分の意思ではないところで、自分の一生を決められてしまう。デビューするということは、グループとして一生を終えなければいけない、問答無用の絶対契約で、デビューをしてしまったらそれ以外の道を一切捨てなければいけない。それくらいに恐ろしいものだと思っていた。得られる名誉や栄光や目が眩むような華々しさより私は、捨てるものの多さ大きさその重さが先ず頭に過ぎって怖かった。
一度デビューした人が、事務所を辞めてしまう。それも、自分の意思で。それって、可能なことなんだ。私はそのことを知ってしまった。
「ジャニヲタの自分」「社会人としての自分」「ひとりの人間としての自分」大体この三つの視点で、それぞれの立場から混じり合わない感情を抱きながら、今回のことを自分なりに整理しようと試みている。
ジャニヲタとしての自分は、やっぱり、好きなアイドルには一生アイドルでいて欲しい。現実の相手には求められないような自分勝手な理想をアイドルに求めたい。その替わりに、決して少なくない時間やお金を払う。言葉を尽くして賞賛を発信する。求めるなりの代償は、ぴっちり平等にはならなくても、払っていくし払っていきたいと思っている。加えてジャニーズという事務所は、SMAP以降グループの解散はないし、先にも挙げたようにデビュー=永久就職だから、グループの形がなくなることはない。絶対になくならないから、ジャニーズを好きになったんだとも思う。
社会人としての自分は、選択が欲しい。自分も人間なんだからどんな人生を送るか選ぶ権利がある。普通の人より多くのお金や特別な待遇を貰えるからって、過剰に期待されて届かなかったら叩かれて、好きだ好きだといいながらいざという時は簡単に手のひらを返される。得られるものの替わりに、諦めなければいけないものも山程存在する。そんな仕事、ずっとは続けていられない。
ひとりの人間としての自分は、自分が出来もしないことを他人に押し付けるのは理不尽だという。夢や理想を他人に求めるなんて、その行為自体が間違っている、と。
アイドルって普通なの?
自分には絶対に送れない人生を送っている人への賛辞と賞賛と期待と投影、それを受け入れてくれるのがアイドル。アイドルとは特別な存在なのでは?
アイドルだって人間だ。どんな風に生きていくか選ぶ権利がある。
普通の人間にとびきり特別な感情と、普通に生きているだけでは感じられない感動を与えられる?
ファンが抱く、アイドルに対して尋常じゃない夢や期待や欲望、それら全部を抱えてくれる、抱える覚悟がある、抱え続けてくれる、そうやって一生を全うしてくれる人を「アイドル」と呼ぶのだと私は思っていた。更に、一生アイドルで居続けてくれる人を「ジャニーズアイドル」と呼ぶのだと。
そういう選択を選んだ彼を責めたいのでは決してない。まず私は担当ではない。だから私は、社会人として、ひとりの人間として彼のことを考えた。続けることもやめることも、どちらを取るにはどちらかを捨てなくてはいけなくて、天秤にかけられるものなんかじゃないのに、それでもどちらかを選ばなくちゃいけない。彼の人生に関わってきた人間の数は私の人生が十回以上あっても足りないと思う。それくらいの数の人間に絶対的に影響を与えてしまう選択を選ばなくちゃいけないなんて、想像しただけで息が苦しい。
私は、私が思っていた、絶対だと信じていた「ジャニーズ」の形が崩れた*1、その衝撃と動揺が、ずっと体の中に響いている。*2 特別な人達だと信じていたのに、ある日いきなり、「俺も普通の人間だから」、それに近い言葉や態度を向けられる日が来るのかもしれない。ジャニーズって、アイドルの中でも更に特別な人達だと思っていたから。理想が崩れる未来が起こり得ることを、その可能性を見つけてしまった、知ってしまった、立ち会ってしまった。なかったはずの未来の選択肢が新しくひとつ、生まれてしまった。本当はずっとそこにあったんだと思う。でも私はそれに気付かなかった。あるいは、勝手にないものとして扱っていた。
どれだけ箱庭のような世界であっても、絶対なんてこの世には存在しない。寧ろ、戻っているのかもしれない。解散していったジャニーズ、フォーリーブス。事務所を離れて活躍しているタレントは少し過去に遡ればたくさんいる。その歴史を私は舞台で教えて貰った。ABC座ジャニーズ伝説。
私が信じていた、知った気でいた世界が形を変えていく。それがいいものなのか悪いものなのか、現時点では結論は出ないのだけれど。
自分は今アイドルに傾倒しすぎている、と気付いたときに私の頭の中に流れるのは、関ジャニ∞のクルトンの歌詞。
君の未来に僕はいるの?
君を求め過ぎているのかなぁ
すり減った靴 ボロボロのTシャツ
君が僕を強くしたんだ
どうか、アイドルとファンの夢がなるべく同じものでありますように。
「持ちつ持たれつやっていきましょう」キツネ顔の最年長の笑顔が思い浮かんだ。