えりあし

思ったこと、残しておきたいこと、いろいろ

自担と喧嘩するのはいいぞ

私は自担である塚田くんとよく喧嘩をする。自担との喧嘩は、私が約10年ジャニオタをやってきた中で見つけた、効率的な自担との和解手段である。 


自担と喧嘩、といっても自担は友達でも恋人でも家族でもないので、こちらが不満をぶつけたとて向こうが返事を返すことはない、完全なる独り相撲だ。ただ壁に向かって一方的に感情をぶつけるという意味では、好きでも何でも差がないんじゃないと私は思う。そもそも受け取って欲しくて投げてるんじゃない。私は私と決着をつけたくて好きと叫ぶしムカつくと怒る。


不満をぶつける、と書くと不穏だが、もちろんインターネット上にのせるときは自分で出来る最大限の味付けを施したり、のせたとしても言いたいことのごくごくごくごく一部に留めたりと工夫はする。工夫の出来が悪いときもある。そのときはまじごめんって心の中で謝って、次はもっとうまく喧嘩するぞ、と次回への宿題にする。


どんな風に喧嘩するか、については私が説明したとしても側から見た場合と大きな差があると思うので、ツイッターで喧嘩してるときをリアタイ目撃していただくのが1番早いです。あわよくば笑ってもらえると嬉しい。無理ならごめんな。理想に近づけられるように頑張ります。


私が自担と喧嘩をするようになったのは塚田担になってからなので約7年。え、7年…?!私のジャニオタ生活の半分以上が塚田担なの…?!時の流れやば…。
塚田担の前は関ジャニ∞の村上くん担をしていたのですが、私は村上担の自分をめちゃくちゃ反省している。
当時も今も村上くんの顔はかっこいいし体含めて顔だしつまりめちゃくちゃ顔がかっこよくて、ワーカホリックで長男でネアカだけど時々ネガティヴを受け止めきれずに持て余す。超好き。そんな村上くんにはずっとずっと変わらず養われたいと溢すけど、当時私は村上くんとの距離感をめちゃくちゃ見誤っていた。


村上担の私は村上くんにたくさんのことを期待してそれが叶わなくて暴れてた。木曜レコメンはまだヨコヒナで、夜ふかしが始まるちょっと前から始まってすぐくらいの頃、私はずっと悲しかった。
どうしてこんなにかっこいい村上くんをネタにして笑うの、村上くんをかっこいいと思う気持ちが存在しないかのように扱うの。私は村上くんのかっこいいところが大好きなのに、周りは村上くんをネタとして扱うし、村上くんもそれに倣った。一般視聴者の多いテレビではまだわかる、だから私が見ないことで済んだけど、ホームであるはずのコンサートでもその空気は続いていた。
って書くと「考えすぎじゃない?」って他担の友達には言われたけど、そのとき仲良くなった同担の友達には「わかる」と言ってもらえていた。多数決の真偽はさておき、私から見える景色はそうだった。
村上くんが大好きなはずなのに村上担の私はなんだか不幸で、村上くんを見ようにも村上くんは遠いしこちらにケツを向けているしで、結局1番近くにいる村上くん以外のことばかりが目に入ってきて、怒って悲しんで苦しくて凹んでいた。村上くんは圧倒的にテレビの人だったから、そこに惚れて好きになったけど、村上くん自身で答え合せする機会は年に一度のイフオアしかなかった。


そんな村上担時期を経て私が学んだのは、「何で」と詰め寄るより「どうして」と立ち止まって考えることだ。何でそんなこと言うの、って理由を聞いても答えは返ってこない、何故なら赤の他人だから。「どうして」を考えたら、塚田くんの過去のインタビューやコンサートドキュメンタリーのコメントを振り返って塚田くんの思考を想像した。
幸いにも、塚田くんの周りには塚田くんの頭の中を想像できる資料が豊富にあった。塚田くんは村上くんよりも会う機会が多く、答え合わせがしやすかったし、ここぞというときの熱量のあるインタビューはリアルタイムで続々と発行されていった。
塚田くんは引きずらない。よく間違えるしやべー空気を作り出す場面も多々目撃してきたけど、それが尾を引くことはなかったし、次の目撃までのスパンは村上くんよりぐっと短かった。
こう書くとなんだが村上くんがわるいアイドルのようになるけどそんなことは全然ない、私が子供で村上くんは大人だったし、村上くんは圧倒的に今の方が使う言葉が優しく言い回しが豊かになった。うわかっこよ、年々かっこよくなるし成長してる。村上くん最高ジャン、愛。


塚田くんのことを想像する時間は楽しい。こういうことを言いたいのかな?と自分なりに解釈して、このときの言葉はこういう意味だったんだ!と後に答え合せをする。合っているときもあれば違っているときもあって、そもそも本人に尋ねたわけじゃないから正解なんてないし、塚田くんは今より先の未来を向いて生きているので、そもそも結論としての答えはおそらくこの世には存在しない。
でも時々覆す。塚田くんが覆すときは変化のときで、私はその変化に敏感ににやつくしグーにした拳で膝を叩く。


塚田くんの存在にはワンダー半分シンパシー半分で、時々圧倒的な相容れなさに鉢合わせする。ギャーン!と毛並みを逆立てて反発して、威嚇しながら真意を推し量る。考えていたら段々塚田くんの価値観を受け入れられない自分に落ち込んできて、一通り落ち込んだら元気になってきて、塚田くんから貰ったたくさんの思い出に手を伸ばす。
初めてリカを見たときの脱力感、「ずっと一緒だよー!」と叫んでくれたあとの「ばいばーい!」、初外部舞台の幸せしかないカーテンコール、ツイッターでしか見れなかった初主演舞台の千秋楽の挨拶、一瞬で脳震盪を起こしそうな文章を記したweb連載、笑って流したふりして今尚ゴリゴリに引きずってる過去のあれそれ、何も特別じゃないふと視界に入った反射で向けられた笑顔とお手振り。


それらを一瞬で凌駕する、今この瞬間、最新の「塚田くん」。


塚田くんとの喧嘩という名の私の独り相撲は、大体いつもそんな風に巡っている。理性で引き止めながら反射を許し、停止して、落ち込み、考え、“今”の塚田くんを見つけて、運命かのように雷が落ちる。今この瞬間の塚田くん、めちゃくちゃかっこいい!!!!と。
その気持ちに帰ってこれたのなら喧嘩はおしまいだ。仲直りと言うにはあまりにも一方的すぎるので、「喧嘩おしまい」とする。
立ち止まって振り返った塚田くんは振り返った分だけ私の記憶に定着する。美化もされるし風化もするだろうけど、触って動かせば案外また蘇っていくもので、だから私はまた立ち止まる。摩擦を愛して徹底的に楽しむ。なるべく周りに迷惑をかけないように、でも全員が全員いい感じに収まることは無理なのでほどほどに諦める。1番大切なことは、私が塚田くん以外のことに振り回されずに、塚田くん自身から得た気持ちで取捨選択をしていくことだ。塚田くんを見て好きになったのだから、離れるときも塚田くんからがいい。
幸いそのときはまだ来ていない。いつかはくるかもしれない、私が先か塚田くんが先かわからないけど、塚田くんを見ているのはとても楽しいしこのように代謝が上がるのでなるべく長く見ていたい。塚田担というデトックス。私のそんな循環を作り出しているのは塚田僚一くんという最高にアイドルな自担様なので、これからも宜しくお願いします。愛してるよ、塚田くん。