えりあし

思ったこと、残しておきたいこと、いろいろ

冬生まれのひまわりアイドルさんへ

塚田僚一くん、29歳のお誕生日おめでとうございます!

 

28歳の塚田くんは私なんかが言うまでもなく、大活躍の年でしたね。新春JWが終わる時点ではまだなにも決まっていなかった、と雑誌で話していましたが、そんな真っ白な新春から年末を迎える今、塚田くんの姿をこんなにもたくさんテレビで見る機会が増えようとは…!

ワーホリ旅*1を見たときに「塚田くんはテレビの人だ!」と思っていつかはバラエティに…と夢見てはいましたが、それがこんなに早いタイミング、短期間で実現することになろうとは予想だにしていませんでした。

今までは「A.B.C-Zが好き」と周りの人に話しても、よくて「ワーホリの人」、はたまたまったく心当たりを得られなかったことがほとんどだったのに、今では「金髪筋肉塚ちゃん」「アウトの人」と、A.B.C-Zに繋がる架け橋のような存在になっていて、塚田くんのファンとしてはその感激もひとしおです。

 

テレビに出る機会が増えて嬉しさ半面、このまま大人のいいように使われてしまうんだろうか、はたまたやべーことをやらかしてしまったらどうしよう、巻き込まれてしまったらどうしよう、などなど同じくらい不安もありました。たくさんの人に関わることで、塚田くんという人の良さが曲げられてしまったら、曲げざるを得ない状況に追い込まれてしまったらどうしよう、と今尚びくびくしているんですけど、今の時点有難いことなんですけど、塚田くんが塚田くんのまま、「塚ちゃん」というキャラクターを尊重した仕事ばかりに出会えていて、こんなことってあるのか?!?!といろんなギャップに振り回されて一人疲れることもしばしば。*2

長年出場を希望していたSASUKEに出演、アウトデラックスレギュラー入り、そこからいろいろバラエティ番組に呼ばれるようになって、塚田くんのコーナーまで出来て、長年やり続けた自己紹介ギャグも晴れて世間にお披露目され、初演JWから始まった女装ネタが初めてのオリジナルアルバムに音源化されてCDデビューで、新聞連載もはじまって……はい…塚田くんはすごいな…。

 

そして昨日発売のTVガイドPERSON。表紙は今をときめく星野源さん、表紙に並ぶ名前はどれも旬な芸能人ばかり。“2015な人々”。塚田くん、そんな中に名前が、載っちゃってるんですよ…すごぉい……。中の写真もテキストもどれもとーーーっても素晴らしくて。こんな素敵な雑誌に素敵な面子に素敵な写真に素敵なテキストに、塚田くんが載っているんですよ、びっくりぽんですよ。

 

アイドルなのに。

アイドルだから。

“金髪、筋肉、塚ちゃんです!”。さまざまな番組で塚ちゃんが残すインパクトは、これまでのジャニーズ、アイドルのイメージをいい意味で覆すものだった。「ジャニーズの夜明け」とも評される現代の“革命児”は、王道、サブカルのどちらもこよなく愛す、頭の柔らかい好青年である。

 

―――TVガイドPERSON vol.40

 

 PERSONの塚田くんのページを飾るこのテキストが、個人的に大ヒットです。何度だって声に出して読みたい。

「ジャニーズ」という大手事務所に属しているものの、まだ陽の目を浴びる機会の少ない「A.B.C-Z」。CDではなくDVDデビュー。ジャニーズの根幹である舞台でのショーを中心として活動しているものの、今のメディアの主流であるテレビからは足が遠退きがちなことを否めない。元気ハツラツでちょっとおバカな体育会系キャラでありながら、アイドル音楽芸術お笑い、様々な分野に関心を持ち自らの足で現場にも足を運んでいる塚田くん。

塚田くん自身もそうだし、えびというグループも、王道でありながら邪道を内包している。もしくは、邪道の道を歩んでいるのかと思いきや、人間の肉体や物事の根幹に触れているものだったりする。ひとつのものを見ているのに、全く違う視点の見え方が同時に彼らには存在している。そこがえびの面白さであり、もしかしたらわかりづらさにもなっているのかなーと思うのですが。

塚田くんという人の、見ただけでわかる元気そうな感じ、ちょっとバカそうな感じ、でも憎めない感じ。一見すごく単純なのに、アイドルが好きで女子アイドルになりたいとか言うし、実際にコンサートのソロコーナーにまで昇華させちゃうし、売れっ子俳優と実は友達だったとか言うし、でも親友は宮っちだけって言うし。後輩にすすんでご飯を奢ってあげていると思えば、人のものを無断でとったりもする。

ライターさんにも、「野心があるのかないのか、よくわからない(笑)」と言われていますし、それに対して塚田くん自身も、「そう、僕もよくわからないです(笑)」と答えているのがまた面白いです。

そしてインタビューの締めに綴られたライターさんのこの文章。

 

ときに予想を超えてくる行動が“アウト”なのだとすれば、彼のそれは、確実に現場を笑顔で満たし、幸せにしてくれるギフトだ。

 強い個性とピュアさは両立する。いや、両立できている人こそが、オンリーワンの輝きを放つのかもしれない。

 

最高じゃないですか?!?!?!なんかもう、これ以上ないってくらい塚田くんの魅力を、過度に飾らず、矛先を違えず記してある文章に出会えて、私は猛烈に感動しています…。

塚田くんって、きっともうずっと塚田くんのままだから、あとは受け取るこちら次第なんだなぁって。塚田くんを良しと捉えるのも悪とするのも、好きになるのも嫌いになるのも、どちらの理由も同時に存在して、しかもそれがこの目でハッキリ見えるのが塚田くんのめちゃくちゃ面白いところだと思います。

元気なところが好きっていう人も、やかましくて鬱陶しいととる人もいるでしょう。まっすぐに好きと言ったり行動をとる様をピュアと捉えることも、周りを気にしなさすぎる無神経な人、と捉えるもできる。そこがいい意味での塚田くんの「わかりやすさ」かなぁと思います。好きになる理由も嫌いになる理由も同じ場所に存在して、そのどちらかを選ぶかは受け取る人次第。

それが今のところ、かなり好転的に働いているなーと思います。すごいことだと思います。大事にされてる、愛されてる、って思えます。塚田くんをいじわるに料理することはきっと簡単なのに、そうじゃなく扱って貰えてるところ。

 

テレビに出始めるようになった当初は、特別ゲストとして招かれているからMCの人に話やギャグを振って貰っていたけど、今ではもう特別じゃない、他のテレビの人たちと同じ土俵に塚田くんは立っているんです。塚田くんはお呼ばれ転校生じゃなくて、もう仲間なんです、メンバーなんです。テレビの中の世界で。これからはテレビに出ることが目標じゃない、テレビの中に出続けることが目標であり日常にさせていくのです。続けること、って一番難しいです。テストで100点とるのも大変なのに、テストで100点とり「続ける」ことってもっともっと難しいことです。テレビに出ていなかった期間を体験しているから、テレビに出ることがまずすごいことであること、そしてそのすごいことを何度も何度も繰り返していかなくちゃいけない。「特別」だった値を今度は標準にしなくちゃいけない。なんてすごいことをこれからやらなくちゃいけないんだ、塚田くんは……!!

って考えているのはまあ私だけで、塚田くんはもっとシンプルな人で、シンプルな言葉を届けてくれます。私がどれだけ重くなろうと塚田くんにはまったく関係ない。劇場に足を運べばこの目で生の姿を実感出来る距離に塚田くんはいますが、それって本当に一方的なものでしかない。

 

 

私はアイドルって、衣装を着るからアイドルになるんだと思ってました。その衣装は、普段に着ていたら悪目立ちでしかないステージの上でのみ着ることが出来るキラキラギラギラの衣装のことでもあるし、見る側が自分の主観を都合よくえらんで与えた虚像の意味でもある。自分でないものが与えられることが、アイドルなのだと思っていました。でも私の中の塚田くんって、衣装を着ていようがいまいが、アイドルなんです。キラキラなスパンコールがついていなくても、一部を都合よく解釈した側面を切り取って眺めていても、塚田くんという人は揺るがなくそこに立ってくれている。衣装を着るし着替えるし、自分でも自分の衣装を持っていて、こちら側が一方的に与えた衣装も、自分のものにしてしまえる人。

 

塚田くんがこれからも、いろんな衣装を着ていく姿が見たいです。そして、それを自分の衣装に染めてしまう姿を。そういう衣装を私はせっせと塚田くんに着せている訳ですが、それなのに塚田くんはその都度、「どう、似合うかな?」とでも言わんばかりににっこり笑ってくれるのです。塚田くんには敵わないなぁ、とこれからもずっと思わされ続けていたいです。

 

 

 

28歳の塚田くん、ありがとうございました。

29歳の塚田くん、また1年、宜しくお願いします!

 

 

 

塚田くんのことが大好きだよー!幸せであれ!!

*1:2013年頭に放送されていた「J's Journey A.B.C-Z オーストラリア縦断 資金0円 ワーホリの旅」のことです。素のえびちゃんが盛りだくさんなので、まだ見たことない方はぜひに!!

*2:今までの人が、ドラマは出るけどあてられる役がコメディキャラクターものばかりだったり、メインMCのバラエティで「お前は人気がない」「ジャニーズじゃない」とされる扱いに凹んできたジャニオタ人生でした。

おまじないみたいな言葉、唱えてよ

まず最初に書いておきたいのが、私がこの記事で話したいのは件の個人やグループの話ではない、ということ。

 

ジャニーズなのに○○、ジャニーズらしかぬ●●、という煽り文句は昨今珍しいものではなくなってきた。ジャニーズがパンストを被ったり、Tシャツを一部切り取って乳首を出したり、ラジオで初チューの話をしたり、バラエティ番組であんたはジャニーズじゃないキラキラじゃない、と詰られたりしている様を目の当たりにしてきたジャニヲタ人生だった。私の中では「ジャニーズらしいジャニーズ」の実像の方がずっと見えなくて、長らくジャニーズのアイドルを好きでいながら、ジャニーズという存在を縁遠く感じていた。そんな私が、ジャニーズらしいジャニーズってこれだ!と思えたのはA.B.C-Zを知ってからで、今そこは、一旦脇に置いておく。


ジャニーズ、とは。

 

私は「デビュー=永久就職」だと思っている。思っていた。デビューというのは一生単位の契約で、それが打ち切られることは絶対にないのだと信じていた。だから気楽に好きになれたし、熱心に応援も出来た。一生ステージの上に、テレビの中にいることを約束した人達。どのタイミングで顔を上げてもそこには必ず彼等がいて、当たり前のように応援することを、また離れてしまうことを受け入れてくれる人達。エンドロールの流れない映画、生産を絶やすことのない商品。それがデビューをした「ジャニーズアイドル」だと思っていた。

それに付随して、デビューをするという明確な意思が固まってないままデビューをした人達のことを可哀想に思うこともあった。自分の意思ではないところで、自分の一生を決められてしまう。デビューするということは、グループとして一生を終えなければいけない、問答無用の絶対契約で、デビューをしてしまったらそれ以外の道を一切捨てなければいけない。それくらいに恐ろしいものだと思っていた。得られる名誉や栄光や目が眩むような華々しさより私は、捨てるものの多さ大きさその重さが先ず頭に過ぎって怖かった。

 

一度デビューした人が、事務所を辞めてしまう。それも、自分の意思で。それって、可能なことなんだ。私はそのことを知ってしまった。

 

 

 

「ジャニヲタの自分」「社会人としての自分」「ひとりの人間としての自分」大体この三つの視点で、それぞれの立場から混じり合わない感情を抱きながら、今回のことを自分なりに整理しようと試みている。

 

ジャニヲタとしての自分は、やっぱり、好きなアイドルには一生アイドルでいて欲しい。現実の相手には求められないような自分勝手な理想をアイドルに求めたい。その替わりに、決して少なくない時間やお金を払う。言葉を尽くして賞賛を発信する。求めるなりの代償は、ぴっちり平等にはならなくても、払っていくし払っていきたいと思っている。加えてジャニーズという事務所は、SMAP以降グループの解散はないし、先にも挙げたようにデビュー=永久就職だから、グループの形がなくなることはない。絶対になくならないから、ジャニーズを好きになったんだとも思う。

社会人としての自分は、選択が欲しい。自分も人間なんだからどんな人生を送るか選ぶ権利がある。普通の人より多くのお金や特別な待遇を貰えるからって、過剰に期待されて届かなかったら叩かれて、好きだ好きだといいながらいざという時は簡単に手のひらを返される。得られるものの替わりに、諦めなければいけないものも山程存在する。そんな仕事、ずっとは続けていられない。

ひとりの人間としての自分は、自分が出来もしないことを他人に押し付けるのは理不尽だという。夢や理想を他人に求めるなんて、その行為自体が間違っている、と。

 

アイドルって普通なの?

自分には絶対に送れない人生を送っている人への賛辞と賞賛と期待と投影、それを受け入れてくれるのがアイドル。アイドルとは特別な存在なのでは?

アイドルだって人間だ。どんな風に生きていくか選ぶ権利がある。

普通の人間にとびきり特別な感情と、普通に生きているだけでは感じられない感動を与えられる?

 

ファンが抱く、アイドルに対して尋常じゃない夢や期待や欲望、それら全部を抱えてくれる、抱える覚悟がある、抱え続けてくれる、そうやって一生を全うしてくれる人を「アイドル」と呼ぶのだと私は思っていた。更に、一生アイドルで居続けてくれる人を「ジャニーズアイドル」と呼ぶのだと。

 

そういう選択を選んだ彼を責めたいのでは決してない。まず私は担当ではない。だから私は、社会人として、ひとりの人間として彼のことを考えた。続けることもやめることも、どちらを取るにはどちらかを捨てなくてはいけなくて、天秤にかけられるものなんかじゃないのに、それでもどちらかを選ばなくちゃいけない。彼の人生に関わってきた人間の数は私の人生が十回以上あっても足りないと思う。それくらいの数の人間に絶対的に影響を与えてしまう選択を選ばなくちゃいけないなんて、想像しただけで息が苦しい。

私は、私が思っていた、絶対だと信じていた「ジャニーズ」の形が崩れた*1、その衝撃と動揺が、ずっと体の中に響いている。*2 特別な人達だと信じていたのに、ある日いきなり、「俺も普通の人間だから」、それに近い言葉や態度を向けられる日が来るのかもしれない。ジャニーズって、アイドルの中でも更に特別な人達だと思っていたから。理想が崩れる未来が起こり得ることを、その可能性を見つけてしまった、知ってしまった、立ち会ってしまった。なかったはずの未来の選択肢が新しくひとつ、生まれてしまった。本当はずっとそこにあったんだと思う。でも私はそれに気付かなかった。あるいは、勝手にないものとして扱っていた。

 

どれだけ箱庭のような世界であっても、絶対なんてこの世には存在しない。寧ろ、戻っているのかもしれない。解散していったジャニーズ、フォーリーブス。事務所を離れて活躍しているタレントは少し過去に遡ればたくさんいる。その歴史を私は舞台で教えて貰った。ABC座ジャニーズ伝説。

私が信じていた、知った気でいた世界が形を変えていく。それがいいものなのか悪いものなのか、現時点では結論は出ないのだけれど。

 

 

 

 

自分は今アイドルに傾倒しすぎている、と気付いたときに私の頭の中に流れるのは、関ジャニ∞のクルトンの歌詞。

君の未来に僕はいるの?

君を求め過ぎているのかなぁ

すり減った靴 ボロボロのTシャツ

君が僕を強くしたんだ

 

 

どうか、アイドルとファンの夢がなるべく同じものでありますように。

 

 

 

 

 

「持ちつ持たれつやっていきましょう」キツネ顔の最年長の笑顔が思い浮かんだ。

*1:デビューをしたジャニーズは、一生アイドルでいてくれる。

*2:他の二人に関しては、特例だと私は認識した。でも今回は特例というより、ジャニーズタレントの今後の選択肢のひとつとして確立したように、私の目には映った。

ABC座2015『サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム』


今年は一幕が錦織一清さん演出の【THE PLAY】『サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム』、二幕がジャニーさん監修の【THE SHOW】『We Love A.B.C-Z』の、舞台とショーの豪華二本立て!です。

今までと今年の大きな違いは、ジャニーさんのクレジットが【作・演出・構成】から【監修】に替わったこと演出をジャニーさんではなく錦織さんが手がけていること、そして演者に事務所以外の外部の人が携わるようになったこと*1
私はジャニーズ舞台はA.B.C-Zからなので、今までのジャニーズ舞台と比較しての話は出来ないのですが、「ジャニーさん色が薄まったジャニーズ舞台」であり「ジャニーさん以外の人が手がけたジャニーズ舞台」になり、けれど「ジャニーズ事務所を長く生きてきた人が手がけたジャニーズ舞台」と、今回のえび座は多様な捉え方が出来て面白いなぁと思います。

 

 


あらすじ


2015年に活動しているA.B.C-Z5人が演じているバンド「プラネッツ」が、ひょんなことから1966年にタイムスリップしてしまう、というお話。なので大きく分けると、「タイムスリップ前の現代」「タイムスリップした過去」「そこから帰ってきた現代」の3つが主な時代軸となります。
タイムスリップで有名な作品といえば『バックトゥザフューチャー』。映画の公開は1985年なのですが、劇中にもこの作品を挙げる台詞があります。
私は今回のABC座を「バックトゥザフューチャー×ジャニーズ伝説」の系譜作品、という目で見ています。

プラネッツがタイムスリップした1960年代というのは、前作前々作の「ジャニーズ伝説」とまったく同じ時代です。ジャニーさんが一番キラキラしていたという時代を、前作では「ジャニーズ」という実在したグループを事実に沿って脚色を加えた物語として、今年はそれを「プラネッツ」というバンドでフィクションの世界を創りあげました。
2013年ABC座「ジャニーズ伝説」初演の年は、ジャニーズ伝説創立60周年の年でもあり、そのアニバーサリーにジャニーズ事務所の歴史を綴った舞台をA.B.C-Zが手掛ける。その事実だけでジャニーさんはA.B.C-Zに並々ならぬ特別な思い入れがあるのではないか、そう考えるのに十分な仕事をジャニーさんはA.B.C-Zに与えているように私には感じられました。
1960年代を生きた人達をA.B.C-Zが演じるのではなく今年は、2015年現代を生きるA.B.C-Zにタイムスリップというフィクションを加えて、現代の目から1960年代を体感させる。それはまるでジャニーさんが、ジャニーさんの生きてきた時代を、A.B.C-Zに肌で歴史で感情でわかって欲しい、という思惑が込められているように感じられました。

 

 


3つの視点


「タイムスリップ前の現代」「タイムスリップした過去」「そこから帰ってきた現代」と3つの時代があるように、この作品は3つの視点から物語を追うことが出来ます。
まず物語の主人公である「プラネッツ」の5人、そして現代から過去へと一緒にタイムスリップしてしまった白猫「ラム」、多くの謎に包まれているレコード屋を営む「五郎」の3つです。

プラネッツ視点は物語通りですね。白猫を助けようとしたら過去へタイムスリップしてしまい、そこでの成功と衝突、リョウスケの死と生還から、現代へと帰ってくる。
白猫・ラムは舞台唯一の女性である蔵下穂波さんが演じていますが、紅一点と同様に一匹だけ人外です。観客と近い視点を持つプラネッツとは異なる、「人間じゃない」視点からラムは自分の世界を物語っています。
そして五郎さん。五郎さんは上に挙げた3つの年代、全ての時代を生きている人です。ジャニーズ舞台といえば、演者と役名が同じ名前であることが第一だと思うのですが、五郎さんだけは違います。そこの話もまた追々。

 

 


ジャニーズ×プラネッツ


2013,2014年のABC座ジャニーズ伝説と並べて考えます。

ジャニーズにとってのヨウセイ・ミズキとその兄、ビング・クロスビー、ディボーソンなど、ジャニーズをスターへと導いてくれた人達、そして本編には描かれていませんでしたが、ジャニーズ四人と共に行動していたであろうジャニーさん、それらの人達全てを五郎さんに当てはめて見ています。
劇中で五郎さんの生活を心配するプラネッツに五郎さんが「他人の家の張り紙なんか気にしなくていい」という台詞があるのですが、プレイヤーはプレイヤー活動にだけ勤しめばいい。そんな風にも受け取れます。
五郎さんは元バンドマンで、劇中でも五郎さんがギターを弾いてバンドを合わせるシーンがあるにも関わらず、五郎さんがプレイヤーとして売れていくことは一切ありません。プレイヤーはプラネッツの5人、五郎さんは面倒を見てくれるし、おそらく仕事の手配もつけてくれています。五郎さんは裏方的役割を全て担ってくれています。その姿勢に、今尚メディアに顔を出さないジャニーさんと重なるところもあるように思います。


ジャニーズは解散してしまいましたが、プラネッツは解散しません。
私が思うにこの作品は「プラネッツが解散しないこと」がものすごく大事な要素なんだと思います。
タイムスリップ前の現代では「ギクシャクした関係がサウンドにも出ている」といわれてもいて、音楽の方向性を模索していたプラネッツは、過去にタイムスリップすることで自分達の行き先を見つけることに成功します。それは恐らく現代にいただけでは見つけられなかった道で、タイムスリップしたからこそ未来に繋げることが出来た。
成功が続くと衝突が生まれ、その衝突に奇しくも合わさって起きたリョウスケの事故死を、猫の不思議な力を使って生還させる、というフィクションの力を大きく使って、プラネッツはその存続を保つのです。
そして一幕最後では、5人のプラネッツとして5人揃って現代へと帰ってきます。
五郎さんは元バンドマンですが、五郎さんも昔に同じ「プラネッツ」という名前でバンド活動をしていましたが、当時のメンバーのひとりである酒屋の息子は既に亡くなっています。五郎さんはもう自分自身の「プラネッツ」にはなれないのです。戻れなくなった過去を持つ五郎さんと、戻る未来を用意されたプラネッツ。同じ名前を持つバンドが、自分の持つ苦い過去の過ちを侵さずに済んだこと。そして、解散してしまったジャニーズ4人と、4人から5人へなったことでデビューを果たしたA.B.C-Z。ふたつの過去と未来が重なって見えます。

 

 

 

白猫「ラム」

 

もしもラムを助けなかったら、もしもタイムスリップしなかったら、もしもラムがリョウスケを救ってくれなかったら。ラムには色んな「もしも」が含まれている、この物語のフィクション部分を担う存在です。

「猫は不思議な生き物だと人間はいうけれど、猫からすれば不思議なのは人間の方だ」

「ここだけの話、猫は人気者になりたい訳じゃありませんから」

「猫に不思議な力があるというのは神様本当ですか」

「2度救って貰ったこの命。2回分あなたに捧げても構いません」

「リョウスケを再び目覚めさせ、5人の若者を元の世界へお戻し下さい」

「神様お願いします!神様お願いします!神様お願いします!

唯一の女性で人外であるからか、現実とは一線を介した位置にラムは置かれています。猫の不思議な力を使ったラムはリョウスケと位置を立ち替わり、ラムのいた位置にリョウスケが現れ、何事もなかったかのように手を挙げて悼む4人に「よっ、元気?」とでも言うかのような軽さで以ってこの世に帰って来ます。リョウスケに命を救われたラム、リョウスケとだけ会話が出来るラム。

そんなラムが再びリョウスケの目の前に現れたときは、もう猫ではなくなっていました。夢を叶えた五郎さんのスタジオで、エプロンの下に尻尾を隠した、「ホナミ」という名前の一人の女の子。半世紀の時を越えて、夢を叶えた場所で3つの世界がまた結び合った。とてもロマンティックで素敵な演出です。

 

 

 

「五郎さん」という象徴

 

先に書いたように五郎さんは「ジャニーさん」の象徴であり、更に本編では「フミト=サターン」にも当てはまる存在です。

ジャニーズ舞台における演者=役名の法則を唯一無視した「黒坂五郎」という名前がまず象徴性の高さを表しています。

プラネッツの「マネージャー」として様々なライブハウスに掛け合ってくれたり、生活の面倒を見てくれたり、グループの心配を心配して声をかけてくれたり。五郎さんはずっと輪から少し外れたところからプラネッツのことを助けてくれます。

劇中ではタイムスリップしたてのフミトのハットを奪って被り、部屋の本棚の上に飾って置いてあり、50年後の現代でも赤から紫に色褪せてしまったハットをずっと被り続けています。「俺一人で楽しみ過ぎたんだ」という五郎さんの言葉に、「俺は一人で有頂天になっていただけなんだ」とフミトも自分を五郎さんに重ねています。

五郎さんのバンドのメンバーである酒屋の息子は死に、そしてフミトもリョウスケを失いそうになる。境遇もほとんど同じです。プレイヤーとしての五郎さんの夢は仲間が亡くなってしまった以上どうしても叶いませんが、スタジオを建てる、という五郎さんの夢をフミトは自分のことのように大事に扱います。その想いが強すぎて、自分たちが元にいた世界、本来の自分たちの世界を大事にしようとしたリョウスケと衝突してしまうのは悲しいですね…。

そんなフミトに対して現代に帰ってきた五郎さんは、元はフミトのものであった50年もののハットをフミトに被せ、穏やかな声でフミトを「リーダー」と呼びます。五郎さんの叶わなかった夢をフミトは達成させることが出来ました。

 「スタジオを作るのに50年も掛かってしまった」ジャニーズ事務所は1962年創立、2013年で50周年。ジャニーズ事務所の時代背景や年数と重ねているところも興味深いです。ジャニーズは50年の間数々のトップスターを輩出してきた一流の事務所であることは間違いないのに、50年の時を越えて現代へと帰ってきたA.B.C-Zが演じるプラネッツがオープン初日の初めての客になった瞬間、「夢が叶った」とこの作品は物語っています。ジャニーさんがA.B.C-Zのことを「ずっと待っていた」と言っているように聞こえてならないのです。*2

 

 

 

物語の解釈

 

本当は、五郎さんはすべてを知っていたのではないか、プラネッツはタイムスリップ先で死んでいたのではないか、すべて五郎さんの妄想だったのではないか、と色々と想像を巡らせていたのですが、観劇の回数を重ねたことと、追加された台詞と演出で物語はとってもシンプルだったことがわかったのですが、改めて書き起こしていこうと思います。

 

  • 「プラネッツ」と「A.B.C-Z

1幕冒頭でA.B.C-Zは登場しません」「プラネッツというバンドの誕生秘話」「タイムスリップして一回り成長して帰ってくる」「プラネッツがどうしてもやりたいって」「俺たちと同じ日生劇場でデビューになるんだね」とプラネッツ≠A.B.C-Zであることと同時に、プラネッツ≒A.B.C-Zであることを本人たちの口から発表されていますね。

 

  • 交通事故でタイムスリップ

タイムスリップのきっかけはリョウスケがラムを庇った弾みで起きます。車でタイムスリップ、というシチュエーションはまさに『バックトゥーザフューチャー』ですよね。ラムが「私のせいだよ」というのでタイムスリップの力の源がラムにあるんだと思います。それじゃあ帰りは一体?とここで詰まってうんうん唸っていたのですが、答えはものすごくシンプルでした。最後にラムが「車」と事故にあっていたんでした。ラムの願いは「リョウスケを再び目覚めさせ、5人の若者を元の世界に戻すこと」で、代償に2回分の命を神様に捧げます。最初は神様にお願いしていたラムですが、すっと立ち上がり、「いいえ、聞いて貰います」「私も頑張らせて頂きますから!!」と猫の不思議な力とラムの願いが無事に届いて、プラネッツは5人での生還が叶ったんですね。

 

リョウスケが死んだことの演出は、空っぽの0番に当てられたピンスポで表現されています。空っぽの0番に向かって語り掛けるフミト、0番を空けて歌う4人。

土管の上でラムが神様に願いを伝え、舞を踊り始めると、0番のピンスポはコウイチに向けられます。背景の映像は60年代でも現代でもなく、宇宙を彷彿とさせるような夜空。あの世とこの世の狭間で不思議な力を持つ猫の舞を引き継いで、コウイチが0番に当てられていたスポットライトを浴びながらひたすらに踊り続けます。そしてそのライトは、ぴょこん、と土管の上に現れた何事もなかったかのように気軽に手を挙げて挨拶をするリョウスケに帰っていきます。生き返ったリョウスケの浴びる照明は、0番の照明なのです。ここがねーーー美しくって!!素敵な演出です!!

 

 

 

オリジナルアルバム、初シングルCDリリースと、A.B.C-Zは今確実に変わろうとしてきています。そして、ジャニーさんも。その狭間の時間を共に過ごせていること、見させて貰っていること、有難いです。とってもとっても面白い。五郎さんのプラネッツは終わってしまったけど、A.B.C-Zのプラネッツは続いていくし、ジャニーズは解散してしまったけど、A.B.C-Zは5人になってデビューを果たし、今尚成長を続け、追い風を実感しつつある。

 

「時を越え5star」「繋いでいくstory」「夢と夢を繋げ 遥かなstory 」「続いていく伝説」

 

過去から蘇った今を生きるA.B.C-Zの今後の活躍も楽しみにしています!

 

 

*1:といっても曽我さんは元ジャニーズの方ですし、蔵下さんもつか×ニッキ×戸塚舞台ではお馴染みとなりつつあるので、あまり外部外部していないのですが…

*2:ヤッチンさん担の方から見たら、また違ったジャニーさんと五郎さんのドラマがあるんですかね?気になるなぁ…!

思い出がなくなってしまった話。

先日、Twitterでちょっとした卒業式を一人で開催しました。

今回書きたいと思ったのは、その卒業式の内容がどういうもので…というより、タイトルの話がしたい。そのことを書いておきたい、と思ってこの記事を書いています。

 

思い出って私、不変のものだと思っていたのです。

たとえば別れた恋人や、今は疎遠になってしまった友達で考えると、別れてしまったから、今は連絡を取っていないから、という「今」の理由で「過去」が変わることはない、と思っていました。時間を割いていなくても、お金をかけていなくても、今のその人を知らなくても、過去は絶対に変わらない、忘れてしまうことはあっても、事実そのものが消えることは絶対にないのだと信じていました。

 

私が5人を好きになったのは、私がまだ制服を着ていた頃でした。当時はSNSより個人ホームページの文化が強くて、身近にジャニオタもいなかった私は、なんとなく彼らが好きだと私に教えてくれた友達と2人だけで、彼らを共有して楽しむようになりました。売れてない時代がどうこう、この作品は彼のこういう部分を書き表しているどうこう、ファンの間ではこういう認識が定説でどうこう、は、私とその友達の世界には一切入って来なくって、レギュラー番組を見たり、出演している映画を見たり、ただそれだけで楽しかった。その友達から「ジャニーズが好きな人って、自分が好きなタレントのことを『担当』って呼ぶらしいよ」と聞いて私は、それなら私は、グループの中でも彼のことが好きだから、私にとっても『担当』は彼なんだな、と、それもなんとなく、そう思っていました。

グループについて彼について、個人ホームページでブログを書いたりしていましたが、基本的にそれらは「レギュラー番組がどうだった」「コンサートでこんなことを話していた」という、受動的に拾った情報の感想をただ書き連ねるための場所で、彼らを取り巻く世界だとか、事務所の歴史がどうとかは露ほども知らずに、ただその時間、提供されるものを楽しむだけで私は満足でした。

私の中で彼はわざわざ看板を掲げるような『担当』ではなくって、ただ自分の中で名札をつけるのなら、どうやらその言葉が適切らしい、という受動的なタグ付けでした。

 

だから、私が何かを言う権利ってないんです。ジャニオタというカテゴリに今は身を置いてしまっている私が、言葉の重さや歴史を知ってしまった私が、今の彼に彼らに時間もお金も手間も感情も費やしていない私が、件についてネットに発信する言葉は、権利は、なんにも持っていなかった。

 

思い出ってずっと変わらないものだと思っていました。10年20年経っているならまだしも、彼らの姿形は私が好きだったころとそんなに変わっていないし、結婚も解散もしてない。彼らの今の姿を見て今の彼らにときめく、というより私は、今の彼らを見て当時の好きだった感情を思い出して、それを大切に撫でていた、はずだった。

 

今の彼らをもう知らなくても、雑誌を見れば、コンサート映像を見れば、当時に感じた熱量や感情を引き出しから取り出して、楽しかったなぁ、こういうことがあったなぁ、このとき友達とこんな話をしたなぁ、って思い出せていた感情が、すっかりなくなってしまっていました。忘れた、のではないと思います。だって、少し前までは確実にその感覚は私の手の中にあった。消えてしまったんです、思い出が。当時に感じた感覚が、手の中から消えてなくなってしまいました。

好きじゃなくなるくらいなら、今追うことをあきらめて、一番楽しい思い出として美しいままで保存しておける。そう信じていたのに。

 

 

 

 

一番伝えたいのは、俺が嵐の仕事をやってる間に、そういうことやって楽しんでるっていう、忙しくても好きならなんでも出来るよ!みたいなことを伝えたかった。

 

 

 

 

伝えて貰ったはずなんだけどなぁ。すっごくすっごくすっごく大事にしていた言葉だったはずなんだけど。

 

怒りたいのでも憎んでるのでも責めたいのでも改めて欲しいのでもなく、ただただ、消えちゃった。そんなことってあるんだなぁ、知らなかった。消えた思い出って、手応えがなくなってしまった感覚って、もう一度蘇ることがあるのでしょうか。失くしてしまったことがないから、私にはまだわからないや。この感覚、初めて知ったなぁ。というお話でした。

 

塚田くんの『トリセツ』

自担であるA.B.C-Z塚田僚一くんの新しい仕事が今日から始まりました。全6回のエッセイ連載、タイトルは『トリセツ』。掲載媒体はなんと読売夕刊。読売夕刊といえば以前A.B.C-Zメンバーが順番にひとりずつ近況などを語る「はれときどきえび」という連載をやっておりましたが、なんとこの度、塚田くんひとりでの、連載だそうで。

前日にジャニーズネットの掲載された情報を見て、うわーーーー?!と戸惑いやら困惑やら嬉しさやらいろんなものがフライパンの上をころころ転がっていましたが、今日実物を手に取ってお金を払って*1この目で記事を見て、しかと味わいました、塚田くんの新連載。

  こんにちは!! タレントの塚田僚一と申します。これから6回にわたってエッセーを書かせていただきます。タイトルの「トリセツ」というのは、取扱説明書の略。僕という人間がどんな中身なのか? 文章で分かりやすく説明していこうと思いますので、よろしくお願いします。

 こんなときでも基本の挨拶からはじめる塚田くん!「いただきます」って言う塚田くん!自分の中身を「文章」で「説明」する塚田くん!タレントってどういうことかな塚田くん?!塚田くんはアイドルなのではー?!

 

と、最初のセンテンスからもう気持ちが忙しいです。勿論編集さんも介しているのでしょうが、「はれえび」のときより断然塚田くんの言葉に寄せてくれているみたいで、新聞で塚田くんの言葉で塚田くん自身の話を塚田くんから聞けるという嬉しさ!喜びといったら!

 

塚田くんってとっても言葉にしづらい人だと思うのです。塚田くんというキャラクターは天然でミラクルでポジティブでアスリートで優しくてアイドルでちょっとクズで時折垣間見えるネガティブ、などなど振り幅に富みまくっているせいで、その解釈が人によって細かぁく微妙に違うんですよね。大まかになら勿論なんとなくのくくりや表現があるんでしょうけど、自分自身塚田担という内側の世界から見ると、塚田担ってまったく統一性がないなー!とよく思います。私はそれが上に挙げたような塚田くんの属性の多さからくるものかな、と勝手に考えております。*2

とにかく、いろんな要素があのちいさな体とたくましい筋肉にぎゅぎゅっと詰め込まれている塚田くんが、自分の言葉で、自分を説明する。すごく楽しみでドキドキします。

 

是非買って読んで頂きたいので記事本文は割愛しますが、この回で私が興味をそそられた言葉は「コンプレック」。

kotobank.jp

 

細かく正しさを追求すると切りがないのですが、コンプレックスは「劣等感」を指す言葉として多く用いられていると思います。劣等感、って所謂ネガティブなイメージのする単語です。塚田くんって口に出すこと全部ポジティブ!太陽!照らされていたいよう!!がデフォルトなので、塚田くんの紡いだ言葉として「コンプレックス」という単語が発せられたことが大変興味深いです。

塚田くんのポジティブ思想は生まれつきというより、ジャニーズ事務所と芸能界を生き抜いていくにあたって自己防衛として身につけた塚田くんの武器だと私は思っているので、その武器を下ろすような真似は塚田くん、普段あんまりしないんです。

エッセー連載といえば戸塚くんの『ダ・ヴィンチ』での「ショーダンバットが鳴いている」がえび担としては先行しますが、ショーダンバットの戸塚くんは、舞台のこと、映画のこと、ドラマのこと、過去のこと…普段では聞けないような話が自分の言葉で赤裸々に綴られています。だから塚田くんの『トリセツ』も、普段の塚田くんからは耳にすることが出来ない話を聞けるのかも?そんな風に期待しています。

塚田くんおしゃれだし、ファッション誌の連載とかきちゃうかな?アイドル語りとか任せられたらどうしようかな?と色々妄想はしていましたが、まさか新聞でエッセー連載の仕事が来るとは思いも寄りませんでした。私は塚田くんのテキストが大好きなので、コンビニや駅の売店でワンコイン出してワンコインお釣りがくるような値段で気軽に買ってしまえる媒体に、しかも手に取るであろう人達は普段のファン層とは明らかに違うサラリーマンやおじいちゃんおばあちゃん、普通にアイドルをしているだけでは届かなかったであろう人達の目に留まる機会が出来たことを、めちゃくちゃに嬉しく思います。

 

 

 

塚田くんが好きだー!いつだって一番新しい塚田くんが一番好きだ!いつもありがとう!大好きだよー!

*1:読売夕刊って50円なんですよ!自担の写真と文章を50円で見れちゃうの?!ワンコイン払ってワンコインおつりがきちゃうよー?!

*2:ざっくり見渡して感じるのが、天使派、ヴィジュアル系派、サブカル派、アスリート派、元気キャラ派とかとか

「Moonlight Walker」発売おめでとうございます

2015年9月30日、A.B.C-Z初めてのCDシングル「Moonlight walker」が発売されました!おめでたーい!

 

デビューに立ち会えなかった新米ファンの私ですがそれでも、初めてのレギュラー番組、初めてのCDアルバム、初めての5人主演ドラマなどなど、A.B.C-Zを好きになってから様々な初めてを共有させて貰いました。が、今回はついに!CDシングル!うわーい!既存のグループならデビューと共に経験するであろうCDシングルリリースに3年。普通と違う、他と違うが故にその現状はどうとでも解釈出来ますが、私はただの新米ファンなので、グループを好きな状態で「初めて」という記念の瞬間に立ち会えることが出来るのはそれだけですごく嬉しいです。

「初めて」をこんなに何回も噛み締めて味わったことって、ファンとしてだけでなく自分の人生でもそんなにないです。初めて、ってつまり既存のものとは違う手段を取らなくちゃで、慣れや経験が生かせないことがあったり、面倒だったり複雑だったり、特に年齢を重ねるとーーーって書くのはなんかよくないな!(笑)

初めて。大人にとっての初めてって私にはどうしてもそういうネガティブな億劫さが先立ってしまうんですけど、A.B.C-Zはどんな初めてにも前向きに力強く真剣に、全力を使って取り組んでいるので、大人の自分が彼らを見るにあたってものすごく意味があるというか、若い内では感じられなかった感動がある。

 

初回特典Cにテレビ番組風に制作された密着ドキュメンタリーが映像として発売されて。某情熱大陸のやつ。情熱大陸でえびちゃんの舞台裏取り扱ってくれないかなー、と思っていたらまさかの本人達がそれになぞって作って売ってくれるとは(笑)。ありがたーい!

アイドルの裏側、というと世間的には過酷な現実、ステージ上のキラキラを色濃く映す黒い影の部分、といったちょっと暗い要素がイメージされやすいんですけど、えびちゃんの裏側っていうのはとにかく「制作」。ずっと制作でした。今回は特に振り付けの五関くんがピックアップされていましたが、河合くんのステージ演出や、ソロ公演においての橋本くんの携わり方、戸塚くんと塚田くんもソロ曲は自己プロデュースです。A.B.C-Zの裏側を追う、となると「制作」に行き着くというのが今回の特典でよくわかって、それってやっぱりアイドルっぽくないんだけど、でもそんな彼らの価値観とか人生だとか仕事ぶりだとか、過去が未来に地続きにつながっていく様がこちらには届いてくるから、やっぱり彼らは素敵なアイドルたちだなあと私はつよく思います。

当たり前なんだけど、私の目に届くもの達は彼らが掛けた時間や努力労力その他諸々の内の本当にひと握りしかないんだなあ。それは別に彼らに限った話ではないんだけど、アイドルの裏側密着映像としてこういった絵は私にとっては衝撃的です。作ってるんだ、本当に。知っていたつもりだったけど全然わかってなかったのかも。「作る」ということ。彼らや周りの人達が必死に振り絞って考え出したものたちを責任を持って「発信」していく姿にはとにかくずっと感動です。

そこまで自分達でやらなくても。アイドルというのは他人の衣装を着て輝く生き物なのでは。自分達の手が中心になるとどうしたって届く世界は他人が作るより狭くて限界が近いのではないか。デビュー当時からとことん自分達で作ることを貫いてきたA.B.C-Zにそんなことを思った回数は1回2回の話ではないです。もっと楽をすればいいのに、って思ってました。そこまで責任を負わなくていいのではないか、もっと他人を使うべきなんじゃないのか。とかまあまあいろいろ。

大人なので制作どうこうについて考えたらいろいろあれであれがあれなあれ、想像は尽きないんですけど、今回のドキュメンタリー映像を見て改めて、自分達で自分達の世界を作っていくA.B.C-Zの格好良さにシビレ倒しました。もーーみんなめちゃくちゃかっこいい!!!!ただただシンプルに、自分が出来ないことを出来る人っていうのはめちゃくちゃ格好良い。そこに還ってきました。

私がA.B.C-Zを好きな気持ちってものすごくシンプルだったんだよなぁ。すごくて格好いい、そして強そう。なにかを好きな気持ちの器って大体そういうシンプルなものなんですけど、そこに何を置いたらつよく自分に響くのかってなったときに、今の私を震わせてくれるのはA.B.C-Zなんだな、と改めてそれを再確認できました。

A.B.C-Zが好きで大事で必要だ。彼らを好いと思う世界が来て欲しい。それは彼らが作り出すのか世間が気付くのか社会全体の色が変わるのかわからないけど、そういう世界になって欲しい。そういう世界は私にとってきっと心地のいいものになるんだろうな、と思う。残念ながら私は世界を動かせるほどの権力もカリスマ性も持ち合わせていないので、個人でいろいろ、なんかね、出来たらいいね。まずは明日の仕事を頑張ろうと思います。私が彼らより頑張ってる瞬間って一生に一秒もないんだろうな、って思うと、せめて丸めた背中くらいはまっすぐにしようと意識するので、私にできることはそれくらいかな。あと、この前えびをめちゃくちゃ褒めてくれた友達夫婦に勝手にプレゼントしたい。五関くんのことマイケルマイケル言ってたからやっぱりAかな!?でもBのMV裏側ももっと制作の面の色が濃いCも捨てがたいし、曲がたっぷり入ってる通常もなーーー?!全部貰ってくれ!!!

 

この記事書いてる間にショップ盤来ないかな~って思ってたんですけど、来なかったです。がんばって、うちの地区の人。ぎゅってしてあげるからおいで!!!*1

*1:ってあいみみの塚田くんが言ってました(泣)

『壊れた恋の羅針盤』個人的解釈と感想

銀座博品館劇場にて『壊れた恋の羅針盤』、観劇してきました。

おおよそツイッターで話したことのまとめなのですが、劇中の物語にも触れたくて改めてブログ記事で起こします。なので、ネタバレ注意です。

 

 

まず私がどうしてこの舞台を観に行こうと思ったのかと言うと、演出が錦織一清さんだからです。

2013年夏に錦織さん演出・出演の『熱海殺人事件』を観劇してから私は錦織さんのファンになりました。錦織さんの目から見える世界に興味津々です。えび担なので自ユニを追っているとよく錦織さんと出会うので有難いです。錦織さん関連は今までにオダサク、出発、イットランズ、新春JW、広島を観劇しております。

私はジャニーズ舞台における脚本の所謂「あてがき」と「役と本人との投影」に大変な魅力を感じています。役だけ・劇だけ・本人だけに投影するのではなく、役と劇と本人達、それぞれを往復することで深く掘り下げて考えることが出来るので、ひとつのことに集中しきれない私にとってとても有難いです。

主演であるふぉ〜ゆ〜を観るのは今回が初めてです。滝ちゃんねるをちょこちょこ見たことあるくらいで、本人達の詳しい経歴やグループとしての歴史は浅くしか知らないので、劇の役と合わせて想像を交えつつ楽しませて貰いました。

 

あらすじは公式HPにもありますが、「吐いた嘘が嘘を呼ぶドタバタコメディ」です。

舞台上はスウィートルームの一室で固定、セットチェンジはありません。そしてストレートプレイ。 室内も下手袖には部屋の外に続く扉があるという程なので、人の出入りは下手が主ですね。上手袖の奥にも部屋がある設定で、そこから上手に大きなガラス扉とバルコニーがあってそこに繋がっています。

 

数字と元素のみを生きがいにしていたアンリが大手製薬会社の令嬢カトリーヌに一目惚れ、一般人のアンリには到底手が及ぼないことからまずはとにかく近付くためにもと、なけなしのお金を叩いてスウィートルームを借り、そのホテルの御曹司と嘘を吐くことでカトリーヌとの接点を繋ぎとめようと嘘の設定を固めていきます。アンリが数字と元素以外に興味を抱いたことに驚き従兄弟のルベールはその恋路を応援するといい、劇作家のシャルルも計画に誘う。なので本編はこの三人が主な主犯として一緒にいることが多いです。が、終盤に向かってのレオの巻き返しがすごくて、観終わった後には「四人が主演の舞台だった」と素直に思えました。

 

 

 

錦織さんとイットランズとストレートプレイ

パンフレットで錦織さんは、昨年唯一演者として舞台の上に立った『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー〜パパと呼ばないで〜』について(明確な作品名は出していませんが)触れつつ話を進めていきます。「日頃から嘘つきな俺の方がぴったりなのでは?」というコメントに、出たかったのかなぁニッキさん、なんて勘繰りもしてみたり。

イットランズでは出演者だった錦織さんが、今回は裏方として同様の設定のドタバタコメディの演出を手掛けるのですが、イットランズ以外のコメディ舞台を知らない私としてはどこもかしこも、わーんイットランズ!!><と楽しすぎた昨年の秋冬を思い出して恋しくなったりしていました。

ステージセットは部屋の一室、バルコニーに続く大きな窓とそれをすっぽり隠せる大きなカーテン、舞台の袖から\ドンガラガッシャーン!/と物が壊れるような音がして、\STAP細胞は、あります!/ *1 これはただの錦織演出でした。

前回のコメディ作品では出演者だった錦織さんが今回は演出家として、舞台上ではない場所から作品を作っていく。演者を経験しての裏方。その在り方の珍しさは脚本の池田さんも語っていますが、自分の目で観た劇がまた別の劇で生かされている様を体感できて、なんだか嬉しかったです。表が裏に、裏が表に生かしていけるのは、どちらの立場でも確固たる地位を築いてらっしゃる錦織さんならではですね。

 

 

M.ガブリエルのフランスコメディシリーズ

今作は四人の若い男性が対等に主役であることが大事にされていて、その条件に該当する既存の戯曲がなかったことから、作品の脚本家であるM.ガブリエルが書き下ろすこととなったそうです。

M.ガブリエルは脚本家演出家の池田政之さんがフランスコメディを書く際に使うペンネームです。

池田さんの過去の脚本は知った作品だとジャニーズWESTの「なにわ侍団五郎一座」ですかね。M.ガブリエルクレジットの作品はこの『壊れた恋の羅針盤』が三作目だそうで、過去二作のタイトルは『シャルルとアンヌと社長の死体』『ボクはヒロイン』。

この経歴を読んで「ん?」と思わず目が留まりました。「シャルル」は劇中辰巳さんが演じる役名と同じなのです。以下あらすじの引用。

 パリに現代の切り裂きジャック事件が横行している頃・・・・・・。劇作家志望のシャルルは、弟と劇場の社長秘書であるアンヌの手引きで脚本の売り込みにやって来る。だがその日は社長にクビが言い渡される会議の日。そうとは知らずやってきたシャルル達を待っていたのは社長の死体だった!

ストーリーから察するに一作目の『シャルルと~』の主役は劇作家志望のシャルルです。『壊れた恋の~』での辰巳さん演じるシャルルは、越岡さん演じる俳優ルベールから「売れっ子劇作家」として福田くん演じるアンリに紹介されます。シャルルが脚本を書いて当たった作品の主演はルベールで、シャルルはルベールの羅針盤占いで作品が当たるかどうかをルベールに見て当てて貰ったことを恩義に、ルベールと共にアンリの恋路を後押しすることになります。

ちなみにニ作目の『ボクは〜』は一作目の続きらしく、けれどストーリーにシャルルの名前はありません。

一作目では劇作家志望だったシャルルが、一作跨いで売れっ子劇作家になったこと。これは実際のふぉ〜ゆ〜の活動とは関係がないですが、一作目『シャルルとアンヌと社長の死体』と今作『壊れた恋の羅針盤』は設定が繋がっていると推察できます。

 

 

平等な四人主演

物語の始まりはアンリの一目惚れ、それに目をつけたルベールがシャルルを巻き込み、ルベールのファンであるレオも加わって……と、事の始まりはアンリからですが、皆それぞれ等しく重要な役割を担っています。池田さんも仰るように、単に四人の男性が出る物語ならもっと責任や出番の偏りが出たと思いますが、本当に見事に四人主演の物語でした。

 

 

  • アンリ

アンリって話の主軸ではあるけど、カトリーヌへの恋に対して自分自身では特に何もしてないなって思いました。終盤でシャルルが「アンリは嘘を吐いていない。僕らの計画に乗っただけ」と嘘が嫌いなカトリーヌに向かってアンリの弁明をするんですけど、アンリはあくまでルベール達の計画に乗っかっただけで、そう、嘘は吐いていない。ということはつまりアンリは、カトリーヌのために能動的に何か行動を起こした訳ではないんですよね。結果的にはお互い一目惚れ、三流紙にしか掲載されなかった論文を評価されて、恋も仕事も手に入れますが、それはどちらも手に入れた、勝利を掴んだ、というより、うまく見つかったと言った方が個人的にはしっくりきます。

ふぉ~ゆ~をぱっと見たときに、こういう役が福田くんにあてがわれたのはなんとなくわかります。それは福田くんが何もしない男といいたいのではなく、アンリって主人公なんですよね。周りを巻き込んでしまう、物語の起点となる人。少年漫画では結構そうだと思うんですけど、主人公って平凡な人が多いですよね。それでも物語は最終的には主人公・アンリに帰結してくるんです。福田くんの主人公力、今後も気にしていきたいです。

 

  • ルベール

ツイッターでは散々「ルーベル」と打ち間違えていてすみませんでした…。

ルベール越岡さんは所謂クズです。売れっ子俳優だったにも関わらず、自身のスキャンダルのせいで仕事を干されてしまい、その挽回を図るために自身で劇を作ろうとし、その脚本家に売れっ子であり自身に恩を抱いているシャルルを起用。そのタイミングで従兄弟のアンリから身分違いの恋という実にドラマティックな話を耳に挟んだことから、今回の嘘計画を自身の劇に生かすためにあくせくと働きます。

役としてはイットランズで錦織さんが演じたデイヴィッド*2に当てはまります。自分の出世のために嘘を吐き、周りを巻き込んでいったデイヴィッド。デイヴィッド一人にスポットを当てるとものすんごく理不尽でわがままで自己中心的なイヤなやつ、なんですけど、錦織さん演じるデイヴィッドには不思議とネガティブな感情を抱かないんですよね。嘘を吐くことで自身にその代償が返ってきたり、女装までしたりと、慌てふためくさまがただただ面白可笑しくて、どこか愛しくも感じられるようなキャラクターでした。

イットランズでは嘘を吐く錦織デイヴィッドが主役でしたが、羅針盤の嘘吐きルベールは、立場的には主演ですが、物語的に言うと二番手。嘘に巻き込まれるアンリが実質の主人公だと私は思っています。イットランズではヒューバートがそれにあたるかな。

錦織さんと越岡さんを比較するのはあれですが、つまり、ルベールは物語を動かすにあたって大事な役割を担っています。性格は自己中心的で、自分の劇のためにアンリの恋路を利用している酷いやつです。でも、そういうネガティブなだけの要素はコメディにとっては恐らく不要で、受け取る側にはその駄目さも愛しさや可愛らしさに変換して届かせなくてはいけなくて、それってめちゃくちゃ難しいだろうなあって。四人の中では台詞量も多いですし、スキャンダルで干されてはいても立場としては売れっ子俳優、周りを巻き込んでもなんでか許されちゃう、一見嫌な奴だけどどこか憎めない、強いカリスマ性がルベール=越岡さんに求められているのではないでしょうか。

 

  • シャルル

シャルルは上にも書きましたが、一作目『シャルルとアンヌ〜』の主人公だと私は考えています。となると、辰巳さんは、嘗ての主人公ということです。過去に物語の主軸を担い、完結させたことのある人。元主人公。それが辰巳さんに充てがわれたのって、私にとってはとても新鮮で意外性のある立ち位置です。

舞台を観た時に私は辰巳さんが一番うまい、魅力的なお芝居をする人だな、と思いました。他3人が背格好が似ている中、比較的小柄で細身な辰巳さんは目立ち易いのだとも思うのですが。

 辰巳さんで一番印象的だったのはここ。頭の方まで皮膚が動いてて柔らかくって、だから目を引かれるんだなって思いました。表情が豊かな方なんですね。

パンフレットで錦織さんが「誰もが芝居をしている」と話していて、恐らくこの舞台一番の見せ場である、カトリーヌに本当のことを話すシーンでシャルルが似たような台詞を言っていたんですけど……どんな台詞だったのか、見事にど忘れしてしまいました(:;)これきっと書き手が一番言いたかったやつ!!と観劇しながら興奮したのに、すっかり抜けてしまいました……(:;)おおお

書き手が一番伝えたかったであろう台詞を、元主人公であるシャルル=辰巳さんに宛てがわれたこと。辰巳さんって、影の主人公なのかな?なんて思ったりしました。

辰巳さん自身はパンフレットで「ふぉ~ゆ~をかき回してやろう」「フラットな意見を壊したい」と話していますが、シャルルは壊す役ではなく、担い手・語り手の人だと思うんです。宛てがわれた役と本人の発言とのギャップも面白いです。

 

  • レオ

舞台って一人の役者さんが何役も演じることって珍しくないと思うんですけど、種明かしされるまでザキさんもそうなんだって信じてて、でもよくよく考えたら、あのクオリティの女装が本気の女性役なんだとしたら、新喜劇かよって話ですよね……(笑)

 ザキさんの役を全部バラバラな人達だと思って観てたので、途中までこの舞台は3+1の舞台なんだな、と思っていました。パンフレットでザキさんは「特殊」と言われていたし、グループ内随一のボケでオチ要員なのは知っていたので、舞台でもそういう役割になるんだ~と思っていました、が。

架空の存在であった筈の高級ホテルの御曹司が実在した、しかも、ルベールのファンで引っ掻き回し役のおふざけキャラだと思っていた売れない俳優のレオがその正体だったことで、四人のヒエラルキーが一気に逆転します。椅子の上に土足で立ち上って自身が御曹司であること、けれどそれを捨てて俳優の道を選んだことを話すレオは、頭の高さで比べるとしても、一瞬であの場のトップに擦り替わります。3+1のおまけのような存在だと思ってたレオが、四人の中で一番のポテンシャルを生まれながらに備え持つ優秀な人物であったこと、そしてそれを演じているのがザキさん。椅子に乗る演出も相俟って、レオ=ザキさんという人物に一気に注目が集まりました。

 

レオの立場がわかったところを以て、この作品が「若い男性四人が対等主役」、意訳すると四人が平等な主演であることに大きく頷くことが出来ました。

起承転結に例えるなら、嘘つき計画を持ち出したルベールが「起」、それを請け負い最後の告白の場で綺麗に嘘をまとめあげたシャルルが「承」、場を引っ掻き回して最後には本当の御曹司という意外性を突っ走ったレオが「転」、元素と数字だけを抱えていたのに大学もクビになり恋した相手も相当の身分違い、けれど最後にはそのどちらも手元に引き寄せたアンリが「結」、かなぁと。これらの見方を役を通してふぉ〜ゆ〜四人に重ね当てて見るには、もう少し時間が必要だと思うので、今後の仕事を楽しみにしています。

 

 

for you

四人のゆうちゃん、合わせてふぉ〜ゆ〜。クリエにあらゆる先輩を召喚しちゃうふぉ〜ゆ〜。随所で見かける「愛されふぉ〜ゆ〜」の文字。

そんなふぉ〜ゆ〜お兄さん達が歌う「for you」。あなたのために。そうだった、彼等は愛を与える側の人達、アイドルなんだった。

マイクを使わない博品館でマイクを通して聞いた四人の声は、「for you」を歌う四人の歌声でした。

メンバーカラーのテープが貼られたスタンドマイクで歌って踊るふぉ〜ゆ〜は、初主演舞台で歌って踊るふぉ〜ゆ〜は、今までの彼等、初めての主演で初めての劇場で初めてばかり舞台できっと恐らく唯一初めてではなかったこと。歌って踊る姿を魅せてくれるふぉ~ゆ~、四人お揃いのタキシードを着て客席に向かって「for you」と歌うふぉ~ゆ~の皆さん、最高に格好良かったです。

 

 

パンフレットで池田さんは「最初はどんな公演で誰が演じるかもわからなかった」と話されているので、殆どが私のこじつけだとは思うんですけど、 池田さんと錦織さんが、ふぉ~ゆ~四人にどの役をどう宛てがうか、二人の目から見える景色を想像して見るふぉ~ゆ~四人がとっても楽しかったです。

劇中でも、辻褄を合わせるために嘘を付け足していくルベールとシャルルに対してアンリが「こうやって脚本って作られていくんだろうな」と 言っていたので、四人に合わせての変更も色々あったと思うんですよね。私は錦織さんのファンなので、錦織さんの目から見える景色、錦織さんの手で調理され ていく役、その役割、立ち振る舞い方、その真ん中に立つふぉ~ゆ~の四人。どれも素敵で魅力的なものたちばかりでした。

12月の舞台も決まっていますが、脚本池田さん、演出錦織さん、主演ふぉ~ゆ~の作品もまたいつかもう一度お目にかかりたいです。ルベールは復帰出来たのか?レオは売れっ子になれるのか?今より更に経験を重ねた皆さんが作る新しい作品も、是非いつかまた、観劇できたら嬉しいな。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

皆さんの益々のご活躍を楽しみにしております! 

*1:昨年のオダサク再演でもこのネタを使っていたので(当時はとてもタイムリーだった)、錦織さんはこのネタが大好きなんだなって思いました。 

*2:イットランズの舞台はイギリス・ロンドンになるんですけども。