えりあし

思ったこと、残しておきたいこと、いろいろ

思い出がなくなってしまった話。

先日、Twitterでちょっとした卒業式を一人で開催しました。

今回書きたいと思ったのは、その卒業式の内容がどういうもので…というより、タイトルの話がしたい。そのことを書いておきたい、と思ってこの記事を書いています。

 

思い出って私、不変のものだと思っていたのです。

たとえば別れた恋人や、今は疎遠になってしまった友達で考えると、別れてしまったから、今は連絡を取っていないから、という「今」の理由で「過去」が変わることはない、と思っていました。時間を割いていなくても、お金をかけていなくても、今のその人を知らなくても、過去は絶対に変わらない、忘れてしまうことはあっても、事実そのものが消えることは絶対にないのだと信じていました。

 

私が5人を好きになったのは、私がまだ制服を着ていた頃でした。当時はSNSより個人ホームページの文化が強くて、身近にジャニオタもいなかった私は、なんとなく彼らが好きだと私に教えてくれた友達と2人だけで、彼らを共有して楽しむようになりました。売れてない時代がどうこう、この作品は彼のこういう部分を書き表しているどうこう、ファンの間ではこういう認識が定説でどうこう、は、私とその友達の世界には一切入って来なくって、レギュラー番組を見たり、出演している映画を見たり、ただそれだけで楽しかった。その友達から「ジャニーズが好きな人って、自分が好きなタレントのことを『担当』って呼ぶらしいよ」と聞いて私は、それなら私は、グループの中でも彼のことが好きだから、私にとっても『担当』は彼なんだな、と、それもなんとなく、そう思っていました。

グループについて彼について、個人ホームページでブログを書いたりしていましたが、基本的にそれらは「レギュラー番組がどうだった」「コンサートでこんなことを話していた」という、受動的に拾った情報の感想をただ書き連ねるための場所で、彼らを取り巻く世界だとか、事務所の歴史がどうとかは露ほども知らずに、ただその時間、提供されるものを楽しむだけで私は満足でした。

私の中で彼はわざわざ看板を掲げるような『担当』ではなくって、ただ自分の中で名札をつけるのなら、どうやらその言葉が適切らしい、という受動的なタグ付けでした。

 

だから、私が何かを言う権利ってないんです。ジャニオタというカテゴリに今は身を置いてしまっている私が、言葉の重さや歴史を知ってしまった私が、今の彼に彼らに時間もお金も手間も感情も費やしていない私が、件についてネットに発信する言葉は、権利は、なんにも持っていなかった。

 

思い出ってずっと変わらないものだと思っていました。10年20年経っているならまだしも、彼らの姿形は私が好きだったころとそんなに変わっていないし、結婚も解散もしてない。彼らの今の姿を見て今の彼らにときめく、というより私は、今の彼らを見て当時の好きだった感情を思い出して、それを大切に撫でていた、はずだった。

 

今の彼らをもう知らなくても、雑誌を見れば、コンサート映像を見れば、当時に感じた熱量や感情を引き出しから取り出して、楽しかったなぁ、こういうことがあったなぁ、このとき友達とこんな話をしたなぁ、って思い出せていた感情が、すっかりなくなってしまっていました。忘れた、のではないと思います。だって、少し前までは確実にその感覚は私の手の中にあった。消えてしまったんです、思い出が。当時に感じた感覚が、手の中から消えてなくなってしまいました。

好きじゃなくなるくらいなら、今追うことをあきらめて、一番楽しい思い出として美しいままで保存しておける。そう信じていたのに。

 

 

 

 

一番伝えたいのは、俺が嵐の仕事をやってる間に、そういうことやって楽しんでるっていう、忙しくても好きならなんでも出来るよ!みたいなことを伝えたかった。

 

 

 

 

伝えて貰ったはずなんだけどなぁ。すっごくすっごくすっごく大事にしていた言葉だったはずなんだけど。

 

怒りたいのでも憎んでるのでも責めたいのでも改めて欲しいのでもなく、ただただ、消えちゃった。そんなことってあるんだなぁ、知らなかった。消えた思い出って、手応えがなくなってしまった感覚って、もう一度蘇ることがあるのでしょうか。失くしてしまったことがないから、私にはまだわからないや。この感覚、初めて知ったなぁ。というお話でした。